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JR宝殿駅~御着宿~姫路宿~JR播磨高岡駅
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17.9km 32063歩/ 6時間54分
自宅を出る時には雪が降ってちらついていた。2時間程で快晴のJR神戸線宝殿駅に着いた。今日は土曜日、何があるのだろう?小・中学生で一杯。
駅前はもう西国街道つぎはぎポイントである。(8:53)
今回は最寄駅が無くなる関係で少し距離が短めとなる。
朝日に背中を押されてスタートすると、すぐに傾いた石碑が目に入った。「
左 石宝殿」と書かれている。
後で調べて見ると 横幅:6.5m 高さ:5.6m 奥行き:7.5m 重さ:500t の石造物で水面に浮かんでいるように見えるので「
浮石」とも言うそうだ。
踏切を渡って、街道としては直線的に北西へ進む。
姫路バイパスの高架が見えて来る。先ほどの踏切同様に街道は直線であっただろうが、少し迂回する様にガード下をくぐったら左へ進む。
広い通りは川沿いに右へ折れるが、細い「
魚川橋」を渡って行くのが旧街道である。
佐々木すぐる(本名:佐々木 英)という「月の沙漠」や「青い鳥」等の作曲家が育った地とされる一角に
正蓮寺と言う寺がある。
そこにご住職の作なのだろうか、初めてみる飛び出し一休さん。
[魚橋西]交差点で国道2号線と斜めに交差する。
江戸時代前期に存在した記録が有るが、1843年改築されたものが現在の
薬師堂のようだ。薬師如来は木製の江戸後期作とある。
線路脇の高架下を右カーブしながらくぐると、すぐにT字路に来るが、ここは直進である。
大日池の傍を通る。周辺には古墳が多く有り早くから栄えていたと有る。かつてはこの3倍もの広さがあったが県道や中学校建設用途なり現在は7449㎡らしい。
横断歩道が無いので歩道橋を渡るが、2号線[豆崎]交差点すぐ手前で左に折れ、国道を斜めに横切るのが旧街道である。陸橋上から様子が良く分かる。
元の旧街道に復帰してすぐ、左にカーブ仕切った辺りで近所のご老人から声を掛けられた。
筋向かいの家(写真)は
伊能忠敬がしばし逗留してこの地の任に付いていた場所であるらしい。
また、「次の交差点辺りに一里塚が有るよ」と言われ行ってみると「
一里塚の庭」として整備されていた。元々は道路沿いであったらしい。
西国街道は一里塚がまれにしか残されていない印象だが、聞かなければ見逃すところ。ご老人に感謝!!
街道は大きな倉庫らしきものに遮られる。右手へ迂回すると、敷地内に杉?の並木。どう見ても元々の街道ではなさそうだが・・・
ぐるっと回り込んでみると理由が分かった。どうも区画整理で西国街道は倉庫の下になっているようだ。
事業主の配慮でせめて並木をと言う事にでもなったのだろうか。国道まで出ずに右折して西国街道に復帰する。(10:34)
暫く行くと、古びた建物と並んで石塀に囲まれた塚が有る。「
六騎塚」である。(10:42)
南北朝時代(1336年)足利尊氏の大軍が東上して来るのを備後守範長が迎え撃ち、大敗して主従六騎阿弥陀宿の辻堂で自害したと有る。
蓮池を越えて少ししたところに「別所公民館」が有る。コンビニが全くなかったため、ご無理を言っておトイレをお借りした。(11:02)
管理をされているご婦人が、蓮池の蓮
*を乾燥させたものに古布を埋め込んだものなど創作して飾られいたが、
中でもツル篭に古紙を巻いて柿渋で固めたこの手篭は素晴らしいと思って撮らせて貰った。
* 蓮は、業者が採集出荷した後残ったものを秋に採るそうである。
[別所口西]交差点で再び2号線と斜めに交差する。
ここで商業施設が有ったので早めの昼食タイムとした。
インド料理 パシュパティ・カレー
(11:30~12:10/12500歩)
先ほどの交差点並んだ一つ向こうの十字路を左折する。
さらに一つ目の十字路を右折して元の方向を向く。しかしどうも旧道ではないと思われる雰囲気・・。
新しく区画され旧道が消えてしまっている感じがする。
その答えはすぐに判明した。国道312号線の高く大きな効果をくぐると・・・。
食事前に渡った最初の交差点の方向に真っ直ぐ向かっている行き止まりの道が残されていた。この雰囲気こそ旧街道。(12:26)
大胆に
Google Map上に線を引いてみた
これは敢えて道をくねらせて、大名行列が見合いしないようにした
曲尺手であろうか。(12:36)
程なく
西国街道 御着宿本陣跡に到着する。現在は「御着公会堂」となっている。(12:38)
天川に掛かる
天川橋を渡る。ちなみに国道2号線の橋は「御着橋」というらしい。
JR神戸線の踏切を渡り、山陽新幹線をくぐってさらに引き込み線の踏切を渡る。斜めの踏切なので結構長い。
グリーンの歩道が有り、車両は残りの幅ですれ違えなければ行儀良く待合をしている。ちょっと感心した。(12:50)
そう古そうではないがお地蔵さんのような道標。(12:54)
右 かみすヾ (南に有る四郷町上鈴)
左 うしどう山 (北に有る牛堂山 国分寺)
最近建てられたような綺麗な一里塚跡の碑。通常は「○○一里塚跡」のように場所名が入っているが、ここは山陽道一里塚となっている。(12:57)
色々調べてみたがこの辺りの地名が
御国野町なので、そう呼んでいる例が見られたが、
御着宿が御国野町御着でここは御国野町西御着なので「
西国街道 西御着の一里塚跡」と呼ばせて戴くことにした。
少し行ったところで市川に突き当たる。河岸緑地は有るものの渡し跡のようなものは見当たらなかった。これくらいの水量なら歩いてでも渡れそうだった。(13:21)
国道2号線の市川橋まで迂回して、向こう岸の最初の交差点[市川橋西詰]を越えたところを、右へ横断する。(13:31)
横断歩道を渡り切ったら側道を4,50m北へ行くと左へ入る道が有る。
道なりに進んでいくと突き当たりになるので、すぐ右手向こうに見える広い車道(城南線)の歩道を行く。(13:54)
JR
播但線の高架の手前[京口駅南]で車道北側の歩道に移っておくと良い。
高架をくぐって二筋目を右折する。(14:03)想像するに往時においては、ここは枡形で有ったのかも知れない。
次の十字路を左折する。
一筋進むと、姫路市立東光中学校の体育館が有り、道路に面して大きな案内板が有る。「
姫路城趾 外京口門跡」の説明が図入りで書かれている。(14:06)
図中の三方を堀で囲まれて直角に左へ折れ、第二の城門をくぐる所は、現在のこの「お食事処 おくだ」前の角と言うことになる。(14:22)
真っ直ぐに南下し、2号線を越えて二筋目を右折する(一筋目とする説も有る)。(14:35)
「駅東大路」の辺りから街道はアーケード街となる。
暫くすると広々と南北に貫く道路に来る。「
大手前通り」である。ここで初めて「
姫路城」の全貌が見える。(14:45)
大手前通りから2ブロック行った外れから2軒目に「結納の那波」と言うお店が有る。これが「
姫路宿本陣 三木家跡」である。(14:49)
実はもう一筋お城側の大手筋通り角に「
国府寺家本陣跡」がある。
姫路城下の堀のような役目をしている船場川を渡る。(14:58)
そのまま広い交差点を直進して、一筋先の丁字路を右折する。(14:59) ここまで姫路城の周りを迂回して来て、大手筋以外は本当に城の姿が見えない。
昔の建物はもっと低いとは思うが、やはり隠す意図が有ったのだろうか。
再び国道2号線を越えるのだが、横断歩道が無く船場川沿いまで迂回する。(15:01)
ただ、この細い道が間違いなく西国街道だと確信できた理由は、ビルを突き抜けてまで続いていることである。
県営住宅の有る交差点(少し直進がオフセットしている)を左折する。(15:05)
真っ直ぐ行くと丁字路に当たる。(15:13) 城山のように見えるが神社や寺院の境内であるらしい。
空き地のようになっている角を右に折れ、その先で左に折れている。この空き地に何か建っていて避けたためか、もともとこのような枡形であったのかは分からない。
寺社の境内を回り込むように西国街道は右に折れているのだが、そこは中央分離柵で通れないので近くの国道2号線沿いの横断歩道へ迂回する。(15:18)
十字路に左から斜めに車道が交差しているような五叉路に来るが、西国街道はあくまで直進。(15:23)
すぐに水尾川を渡る。(15:25)
真っ直ぐに暫く歩くと2号線に合流する。(15:43)
南側歩道を少し行ったガソリンスタンドの角[高岡駅前]交差点が本日のゴール地点である。(15:47)
左へ折れると目の前はすぐJR姫新線「播磨高岡駅」である。無人だが愛着感満杯の駅である。
向こうのホームに停車した姫新線車両のデザイン。16:02分発姫路行きに乗った。三列シートで立ち席が広く感じた。
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