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JR兵庫駅~大蔵谷宿~JR西明石駅
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22.2km 38914歩/ 8時間43分
2024年初歩き。今日も天気予報では雨と下り坂の間の快晴で、本当に天候に恵まれている。
家を出た時の気温3度も兵庫駅に着いた頃には大分暖かく感じられるようになっていた。(8:10)
駅舎を出たところから今日歩く西国街道を望む。駅のすぐ前が旧街道なのである。
駅前ロータリーの植え込みの中に有った「
一等水準点」。土地の高低を精密に測定する為の基準となるもので主要道約2kmごとに設置されているとある。
ロータリ出口の交差点。少し左寄りに西へ向かう。
突き当たりのように見えるが公園(一番町街園)に沿って歩道が続いており、ここを真っ直ぐ西へ向かうのが西国街道である。(8:25)
すぐに、南西に向かう分岐点に差し掛かるが、ここは横断歩道まで迂回して、そのまま直進する。
阪神神戸高速長田駅の南口前に有る道標(と言うかパネル地図)。
この
国道28号線の文字を見た弥次さんが、「それで長田駅前に
鉄人28号」が有るのか」と呟いた。「なるほど!!」(真偽の程は定かでない)(8:44)
この辺りから西国街道は南西の方角へ、「
新湊川橋」を渡って、須磨方面へ真っ直ぐ向かう。(8:47)
県道21号と同22号が分岐するところが大きな高架となっているが、21号線方向へ陸橋の下を直進する。(8:59)
暫くすると、妙法寺川に掛かる
三の井橋を渡る。両岸に公園が整備されていて好い雰囲気。
ちょっと読み方を検索してみたら、この川沿いは桜の名勝だそうだ。(9:25)
阪神高速3号神戸線の高架が見えて来る。(9:31)
更に直進すると中央幹線と言うこの車道が少し左へ曲がり出す辺り、植木の有る綺麗な歩道の車道側に石碑が建っている。(9:54)
「
菅公聖蹟二十五拝 第十四拝 綱敷天満宮寶前碑」である。
ちょっと意味不明だが、京都から太宰府まで、菅原道真を祀る天満宮の中から25ヶ所を選んだものらしい。因みに綱敷と付く所が博多にも有るようだ。
宝前とは謹んで御前に・・と言う意味が込められている。
更に、綱敷とは流れ着いた高貴な方を持て成す場所がなく漁師が綱を円形に平たく巻いて座を作った所から来ているらしい。
横断歩道を渡って車道の向こう側には「
菅の井」と「
菅公手植えの松」が有る。
これらについては
須磨の浦の歴史・文学・伝記に詳しい。(9:57)
この前から西を見ると車道から右に分かれて脇道がある。これが旧西国街道である。
脇道は少し先で左へ曲がり、再び車道の脇にでる。側道を進んで行くと少し複雑な五叉路になっている。
そのまま直進が出来ないので車道の反対側へ一旦渡って、その先の横断歩道をもう一度渡る事になる。(10:04)
国道2号線の北側側道を進む。JR神戸線が左から近づいて来て合流する辺り、丁度海辺に出たところに「
一ノ谷 源平史蹟 戦の濱 碑」が有る。(10:25)
ちょっと寄り道という感じで
須磨浦公園内を歩くと、すぐ隣に「
みどりの塔」(みどりの羽根運動に因む)が有る。
この両端には一対の地球儀が有り、向かって左は震災で落ちたままになっていると言う事なのだが、右だけ見て通り過ぎてしまった。
更に進むと2号線よりは一段高い所に少年の像が建っている。案内には「
ウルフカブ発祥の地」とある。
ウルフの意味は分からないがボーイスカウトのあるグループが誕生した所のようだ。(10:33)
途中一ヶ所横断歩道が有るので2号線の浜川へ移っておく。左はJR神戸線、今通っている歩道と国道2号線。更に山沿いには山陽電鉄と交通の要衝である。
国道2号線が左へカーブし町並みに入ってすぐに、水がしたたり落ちる石組みの表面に建物についての案内が掲示されている。
「
旧ジョネス邸跡地」で、元は800mほど東に有ったものを1963年に国鉄複々線化により移築、2013年に解体されるまで94年塩谷のシンボルであったとある。(11:10)
塩谷の町並みを出て少し行くと左側の森の中を貫く遊歩道があるようなので騒音も避けられると寄り道することにした。(11:25)
少し高台へ上っていくと彫刻のような石の芸術が展示されている。題名を「
コンナイイモノミタコトナイ(1980」と言う。
作者
最上壽之。
さらに右手には極めて薄い石板を何層にも重ねたような造形、
「
ロマンチシスト(1989)」。
作者
中岡慎太郎
進行方向を振り向けば「
萬葉尾歌碑の道」の碑が有り、これは本当に寄り道どころか道草になりそうだ。
第一の歌碑 「
命をし 幸くよけむと 石走る
垂水の水を むすびて飲みつ」(作者未詳)
第二の歌碑 「
石激 垂水之上之 左和良妣之
毛要出春尓 成来鴨」(志貴皇子)
第三の歌碑 「
石走 垂水之水能 早敷八師
君尓恋良久 吾情柄」(作者未詳)
休憩所を過ぎて暫く行くと立体交差の陸橋を渡る。
更に進むと左手にトイレの有る十字路に来る。ここから先は国道から徐々に離れていくので元の道に戻る事にする。(11:54)
福田川に掛かる「福田橋」を渡り、垂水市街に入る。大正15年に掛けられたアーチ方の石橋で、国道を支える橋としては最古参なのだそうだ。(12:04)
昼食タイム。折角、
垂水という漁港なのでそれらしいものをと岸壁に建つ水産会館にやって来た。
2階に見晴らしの良さそうな、その名も「
垂水 漁港食堂」。運良く記名4番目で入れたが、その後15組の待ちが出来た。
980円の「店長お勧め まかない丼」(端切れの漬け)の味は期待を裏切らなかった。(実はここまでずっと1000円飯になっている。12:20~13:10/22751歩)
この橋の欄干・親柱は歩道に忽然とただ建っている。川自体は暗渠になっているようだ。地図で見ると海辺に僅かに川の様子が覗える。(13:18)
この川に沿うように大きなお屋敷が有り、調べて見ると国登録有形文化財の「岸本家別邸」らしい。
塩谷は欧米人の別荘が多かったが、ここ垂水は日本人の別邸が多く建てられたそうだ。
「舞子海岸園園銘石」であるが、使っている石が割り穴が開いた「
大坂城残念石」なのである。(13:39)
ここから舞子海岸園に寄り道。旧武藤山治邸、明治天皇歌碑、孫文記念館、その他オブジェなど沢山有り弁当持ちでのんびり来るには丁度よさそう。
特に見たかったのは「明石海峡大橋ケーブル断面模型(実寸)」である。
長さ4073m 直径1120mm 素線の直径5.23mm これを127本束ねたストランドと言う中間ケーブルを290本(つまり素線36830本)を束ねる。 総重量50560トン
JR舞子駅への歩道橋の所で西国街道に復帰。有意義な寄り道であった。(14:01)
間もなく広くなった歩道が割れるように分岐する。左の市街地に入っていくのが旧西国街道である。(14:09)
久し振りに、旧街道らしい雰囲気を味わって、再び国道2号線に合流する。(14:17)
西舞子海岸に注ぐ山田川。
山田橋の下には野鳥が多く見られた。又、
明石海峡大橋の遠望も楽しめる良いスポットだと思った。
山田橋は立派な石橋で親柱には高い石柱(4m位)が使われ先端には街灯が据えられている。(14:19)
国道2号線には海側にしか歩道が無く、JR朝霧駅の連絡橋の下を真っ直ぐに2号線に沿って進みたいのだが、横断歩道が無い為国道28号線へと誘導されてします。(14:35)
戻る気のしないほど先に横断歩道が、やっと見つかりほっとする。(14:37)
それほど旧街道と離れている訳ではないので、少し先の適当な連絡路を見つけて2号線側道へ出る。(14:40)
高架下に有る「朝霧橋」。朝霧川に掛かるこの橋を渡りきったところを左へ折れる。すぐ道なりに右に折れて真西に向く。
この辺りから「
大蔵」と言う地名が目立ち始める。
「旧西国街道
大蔵谷宿 本陣跡」である。
大蔵会館という公民館になって居り、久し振りにはっきりとした形で本陣跡が見られた。(14:59/29570歩)
旧街道は教会の見える三叉路にぶつかり、左に折れる。(15:07)
数十メートル先を右折するのだが、国道の朝霧橋の所とこのクランク型は大蔵谷宿における東西の枡形と思われる。(15:09)
この角には道標の石碑と「
大日本中央標準時子午線通過地識標」と刻まれた石柱と案内が有る。如何にも明石に来たという感じがする。
5,60メートル先の地方裁判所の右側から
明石市立天文科学館の子午線標示柱が見える。デカい!!
再び枡形となる。すぐ近くの横断歩道を渡るとそのまま西国街道は西へ向かう。(15:23)
ここでちょっと寄り道。この横断歩道からちょっと北へ行くと道路標示の元となる「
明石市道路元標」の石柱が歩道に建っている。
暫く真西に直進していくと、信号の有る交差点で西国街道は北西に曲がり、間もなく明石川の「
大観橋」を渡る。(15:48)
現代の県道718号線は大観橋を渡ると、また西向きに折れるのだが、西国街道は[大観橋西]信号の一方通行の細道に直進する。(15:49)
細い道もまたすぐ、大きなマンションに囲まれたような交差点に突き当たり、右に折れて北進する。(15:53)
山陽電鉄の高架を越え、JR神戸線の高架を越えて三筋目(セブンイレブンが有る)の十字路を左折する。(16:04)
道なりに北西寄りに進むと三叉路に突き当たる。(16:38)
ここを左折するとすぐに、「
JR西日本明石電車区」と言う車両基地に沿って走る国道2号線に合流する。
地図上で数えたところざっと24本もの線路が有った。
線路伝いに市街地に入ると2号線を離れて左へ分岐する道がある。西国街道はへ取る。
暫く行くと、向こう側に「ファミリーマート」が見える交差点に来る。ここが本日の終点となる。次回の西国街道はこの先へ直進する。
十字路を左に折れるとすぐにJR西明石駅。ちょっと距離が増えてきたので新快速で帰る事にする。
野洲にも電車基地が有り、上りは「野洲行き」下りはここ「西明石行き」となる。新快速のフルコース、2時間の旅である。
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