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from 2022 when it's begining after/with CORONA Virus.

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西宮駅最寄り~西宮宿~兵庫津宿

12月
13
2023
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21.5km 34852歩/7時間27分


  まだ、日が低い8時前、JR西宮駅へ'と~ちゃこ'(自転車ではありません)。通勤の皆様にちょっと押され気味に待ち合わせ場所へ。
  今日で四日目(4回目)。西宮駅最寄りから芦屋や三宮、神戸と市街地を21.5km歩く。昨日までは雨、今日は快晴、明日は下り坂。最高の街道旅日和である。
  早速、本日の出発地点へ(8:04)
  第一の交差点。JRのアンダーパスをくぐって南側へ出る。(8:11)

  まだ日の指しきらない歩道を南へと進む。国道2号線を越え、阪神電車の高架もくぐって、ひとつ川(東川)を渡る。
  阪神高速と2国が目の前に迫って来た辺りに、「西宮本町」と言うバス停が有り、右手に「正念寺」と言う寺が有る。 この寺を回り込むように右折する。(8:23)
  暫く進むともう西宮宿の中心地、西宮神社の門前まで続く直線道路に三軒の本陣とさらに脇本陣が有ったそうだが、今はそれを偲ぶものは何も残っていない。 (8:28 1509歩)
  次の広い通りとの交差点に交番が有る。交番の名前にもなっているのだが「札場跡」である。この通りの名前にもなっている。 いわゆる高札場がここに有ったのだが、通常宿場の出入り口に建てられる。さて宿場は神社側か、それとも今過ぎた京寄りか?(8:31)
  「西宮神社表大門」に突き当たる。門前を横切る通りは「えべっさん筋」と言うようだ。(8:31)
  門前を左折して2国(第2阪神国道 国道43号線が正しい呼び名。昔懐かしいのでご容赦)沿いに右折して、西宮神社南門前を西進する。(8:39)

  神社の隣、成田山の駐車場を過ぎる辺りから右手へ逸れて行く。
  住宅街を進み、一つ大きな通りを横断すると、右手から阪神電車が近づいて来て、間もなく駅舎とは思えない美しい建物の前にやって来る。 「香櫨園こうろえん」である。(8:49)
  弥次さんが駅舎内へ付いて来いと言うので、入って行くと古い駅名の銘板が残されていた。大阪商人の香野こうのさんと 櫨山はぜやまさんという方が造られた「香櫨園」と言う遊園地の最寄駅であったので名付けられたとWikiにある。
  暫く線路伝いに行くと阪神電車洗車場線路橋のアンダーパスを通り抜けたところ。 右手のマンションを見ると、もっとも手前(右)のマンションが道路や線路に平行なのに対して隣の2棟は斜めになっている。 これは当時この辺りから右手斜めに「西国本街道」と「西国浜街道」が分岐していた事の証である。
  渡るすべは無いので、少し浜街道を進んで踏切のある十字路を右折する。(9:04)
  踏切を渡って少し行くと赤い前掛けをしたお地蔵さんが目を引く。「春日地蔵」と呼ばれているらしい。(9:07) そばに建つ道標には右 西宮道 左 中山(道)と刻まれて居り、宝塚にある中山寺と言うところを指すらしい。
  ところで、隣の写真は道標に刻まれている右を見た写真であるが、正に先ほどのマンションの前を通る当時の街道が残っていた。
  本来、西国街道は春日地蔵前を左方向へ行くのだろうが、区画整理のため正しいルートは残っていない。そのまま直進して目の前の鳴尾御影線と言う車道を左折する。(9:08)
  二つ目の信号の北東角に「阿保親王廟あぼしんのうびょう道標」と呼ばれる石碑が建っている。(9:21)  阿保親王とは平城へいぜい天皇の皇子にして在原業平ありわらのなりひらの父とある。 この辺りにはその名にちなんだ地名も多いと弥次さん曰く。
  次の十字路を右折して(左写真)一筋北の十字路を左折するのだが、又もや途中で旧道らしき(多分間違いない)道を発見(右写真)。 阿保親王廟道標と結ぶと現実味が出る。(Google Map参照=TOP↑)
  
  このマンションの角が一筋北の、左折する十字路。(9:28) ここから西は区画整理が行われていないのか自然にカーブしている。
  一つ大きな、信号の有る交差点を横断した直後に立派な石碑が建っている。 地図には「徳本上人名号塔とくほんしょうにんみょうごうとう」とある。 芦屋市の資料(53ページ)に依ると、 徳本上人(1758-1818)は浄土宗の僧で和歌山に生まれ、念仏行に励み全国を行脚した。度々ここ打出うちでも訪れ、帰依する村人が多かったとある。
  すぐに「西国橋」を渡る。旧街道らしい自然にうねった道はやはり同じ住宅街でも気持ちが良い。(9:33)
  Y字に分岐したところにやって来る。(9:37) 右手に取る。
  春に来ると綺麗だろうなと思える「茶屋之町桜並木」の通りを横切ると向かう先に国道2号線が見え、石段を上がると歩道に合流する。(9:40)
  暫くすると「芦屋川」を渡る。先ほども登場した業平の名を冠した「業平橋なりひらばし」である。(9:45)  ここから北(山手)へ向かう両岸の道路は「業平さくら通り」と言うらしい。
  西国街道はずっと国道2号線を進む。ビルの多いこの辺りには目立つ朱色の鳥居が有る交差点に来る。信号には[赤鳥居前]と書かれている。 残念ながら神社らしきものは地図を見ても見当たらない。(10:06)
  今度は見過ごしそうな神社の有る交差点にやって来る。(10:31) 「山王神社」と言い、ここで2号線を外れ右折する。 実は、この神社北側に沿って街道が有ったようだが、先の十字路まで迂回しなければならない。左折を二回して元の街道に復帰する。
  この写真は迂回した後、山王神社駐車場方面と2号線を見通している。今はご近所の駐車場になっているが、かつてはここが西国街道だったのだろう。(10:35)

  一本広い道路を横切って進んで行くと右側に祠が有り案内板に「くび地蔵」と書いてある。経緯については案内板に詳しい。(東灘区役所)(10:45)  この先すぐに旧街道は直角に左へ折れる。
  再び国道2号線に出て、側道へ右折し西進する。「六甲アイランド線」の高架をくぐると「神戸市東灘区役所」前を通る。

  すぐに歩道橋と道路向こうにロイヤルホストが見えて来る。この交差点を左折して2号線を離れる。(10:54)
  住吉小学校前の公園角を右折する。(10:59)

  暫く遠ざかっていた阪神電車がすぐ左側に近づいて来て、西国街道は「御影駅」の前を通過する。すぐに公園らしきところに突き当たる。(11:13) 右折して「御影公園」と書かれた門柱のところを左折して西国街道は続いているのだが・・・・   
  公園とグランド(御影中学校)のフェンスに挟まれて通り抜けられないように見える。(11:17)  大丈夫?と思いながら進んで行くと・・ 先の見通しが良くなって来る。東海道にも道幅50cmの極狭い家屋の隙間が有ったが残っているだけ嬉しい。
  抜けたところはその先の街道も有り開けたところである。しかしこの地図間違っているように思う。一筋北側に残り松や道標が有るのである。 我々はその道を選択する事にした。(11:21)
  道標を左折して暫くすると小さな橋が有る。名前を「一里塚橋」と言い案内板にはこの辺りの字名をかつて一里塚と言い、一里塚が有ったとある。 こちらの道を選んだのは正解ではないか!?

  少し戻って「西国橋」を渡り、次の川に至るまで西進する。
  その川に架かる橋「下河原橋しもかわらはし」。橋を渡りきったところは遊歩道になっていて、右折して2号線に出る。(12:01)

  国道2号線の側道を進む。この先の事を考えると先ほどの遊歩道のところで、国道向こう側へ渡っておいた方が良かったかも知れない。
  国道2号線は大きく左カーブして南下して行く。西国街道はそのまま延長上を西進する。この交差点は[西灘]である。(12:09)

  又小さな橋に至る。西郷川を渡る「岩屋中橋いわやなかはし」である。ここでは幹線道路は右折していくが街道は直進である。
  阪神電車は「岩屋駅」で地下鉄となる。丁度良い時間に良いお店の前にやってきた。ハンバーグ定食にコーヒーを付けて980円、とてもお客さんが多い。 味も良かったが、何より店員さんが皆爽やか対応だった。こう言う店は又行きたくなる。(12:25~13:10 22364歩)

  昼からの部、出発してすぐ公園の入口に西国街道の石碑が有る。そんなに古いものではないだろうが、何ともどっしりした大きな道標だ。
  真っ直ぐな街道が続く。途中福祉施設の前に有る西国街道道標と案内板。 案内板には行程記の説明が有り参勤交代のため長州藩が萩から品川までを絵地図にした膨大なものと記されている。(13:34) その一部吾妻地区に掛かる部分が掲示されている。

  さて街道はさらに「雲井橋」を渡る。車道側の親柱に描かれた旅人の絵。車道側は残念ながら工事中でブルーシートが貼られていた。(13:42)
  雲井橋西詰めの道路に挟まれた遊歩道に花壇で飾られた「旭通西国街道の石碑」が建っている。(13:43)

  さらにその二筋先にも石碑と旧西国街道に関する説明がなされている。 「旭通2丁目旧西国街道石碑と案内板」によると、西国街道は西暦701年大宝律令に端を発し、古代(それ以前)には山陽道と呼ばれたと有る。
  「JR三ノ宮駅」に行き当たる。スクランブル交差点手前の歩道に「旧西国街道の碑と説明板」が建っている。西国街道は本当に良く整備されていると思う。

  スクランブルを渡ってガードをくぐり、阪急神戸線側へ迂回し、「阪急 神戸三宮駅」へと進む。想像するに駅舎の中を通り抜けても良いのだと思う。
  余談だが、JRは「三ノ宮」阪急は「三宮」。発音は同じだと思うが・・。駅前ロータリーを迂回して阪急の駅前へと向かう遊歩道へ、横断歩道を渡る。(13:56)
  「生田筋」との交差点。ここを左折して南下する。
この間のルートを間違ったかも知れない。
古い地図などを見ると駅前ロータリーから市営地下鉄の走っている生田新道へ真っ直ぐ進み生田筋を左折するのが正しいかも知れない
  このアーチを撮影する為にカメラを構えている辺りに2本の商店街通りが交差している。(14:05) 北側から「神戸三宮センター街」「三宮本通商店街」であるが、北側の三宮センター街が「西国街道 浜街道」で、この地で本街道と合流する。
  この交差点はただ横断して直進するだけだが、光が複雑に反射したり屈折したりして、何というか妙なる情景であったのでシャッターを切ってしまった。(14:06)
  みなと銀行角(通りは花時計線と言うらしい)を右折する。(14:07)

  次の交差点に三宮神社が有る。往時はこんもりとした鎮守の森も有り、湧き水の井戸も有った事から街道のオアシスであったようだ。また、 この鳥居は継ぎ目のない一本ものの石材で出来て居り、形は伊勢の鳥居と同じだと弥次さん曰く。なるほど。(14:09)   
  トアロードを横切って、次の交差点が「神戸元町商店街」の入口である。この商店街の全行程が旧西国街道で有る。(14:12)

  平日ながら賑わう商店街(元町5丁目)。何処の商店街もこれくらい人が来てくれたら継続も可能なのだろうに・・・。
  元町商店街の外れに有る「明治維新開港当時関門址」。現在工事中であるが旧ホテルの壁面に埋め込まれている。 明治維新当時密貿易を防ぐ為に有った14の関門の内の一つだそうだ。数年で廃止されたらしい。(14:32)
  「里程元標」は元、相生橋に有ったが昭和6年国鉄高架完成に伴い橋が撤去され元標も保存されていたものを、往時を偲ぶ為と移築されたとある。 写真は説明の為の石碑で里程元標自体は Google Map 上のアイコンに埋め込んである。(14:34)
  JR神戸線の高架下をくぐり左折。神戸駅前を目指す。(14:37)

  駅前広場を突っ切りバス駐車場の横を回って、突き当たりの交差点が西国街道である。(14:41)
  ここがその突き当たりの入口。(14:43)

  すぐにY字路になっているが、ここは直進する。(14:45)
  変則の五叉路を越えた歩道に西国街道の碑が有る。

  その先で再びJR神戸線の高架下をくぐるのだが、歩道が複雑で迷いそうだ。 要は西国街道は車道として真っ直ぐなので、交差点を越えた所にある「湊口惣門跡」の石碑を見逃さなければ道は間違わない。(15:02)
  後日調べでは、ここが兵庫津の湊口(東口)となっていたようである。また、少し北寄りに高札場が有ったらしい。
  少し先に、阪神高速(3号神戸線)と下を走る国道2号線が見えて来る。残念ながら横断するすべが無く、右か左(右が少し近そう)へ迂回する。(15:04)
  元来た道の延長線上まで戻ってさらに南下する。本町公園前の「岡方総会所跡」を通過して二筋目角に石碑が有り右に折れる。(15:15)
  ここを札場の辻(札の辻)と言い兵庫津の中心地だったらしい(後の調べによる)。石碑には右 和田御崎(舩番所が有った)、左 築嶋寺と書かれているらしいが下部が欠けているようだ。

  柳原蛭子神社(柳原えびす)。この神社が西国街道と直接的な関わりが有るかは分からないのだが、後日調べではこの付近に高札場が有ったようだ
  湊口と対を成す「西国街道 西惣門跡」。柳原口と呼ばれていたと有る。 時期的には兵庫城の築城に依る天正八年(1580年)頃、兵庫津全体を城下町とする縄張りの関門として設置されたようだ。
  因みに、平成の調査による惣門の復元図が掲示されている。
  L字に横断歩道を渡ってJR神戸線のガードをくぐり、左折する。

  西国街道は丁度兵庫駅北口前で蛇行して西に向かう。本日は駅前広場を終点とする。


後日調べ


  兵庫津宿の知識が全く無いまま現地に来てしまったので中心地を見逃していた。そこでWEB上で見つかった下記の資料から概略図を描いてみた。(Mapアイコンをクリック)   
参照:
神戸市立中央図書館 貴重資料デジタルアーカイブズ
摂州八部郡兵庫津宿之図せっしゅうやたべぐんひょうごつやそのず

  図を描いてみての第一印象は、近代において大きく発展した神戸以東は目覚ましいものが有るが、 戦国の世から江戸に掛けてこの人口密集は相当な発展振りではないのかと言う事である。兵庫が県の名前にもなるのが頷ける気がした。

  当初は、西国街道が何故こんな遠回りをした上で90度方向転換しているのかすら理解していなかった。実際に歩いてみて得るものは大きかった。


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