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ANOTHER DECADE

from 2022 when it's begining after/with CORONA Virus.

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JR西明石駅~大久保宿~加古川宿~JR宝殿駅

2月
6
2024
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20.1km 30842歩/ 7時間11分


  前回帰路についたJR西明石駅東口が見える交差点。今日はここからスタートする。 実は1号車に乗っていた私はそのまま西出口から出てしまって、長い渡り通路だなと思いつつ、新幹線西明石駅から出てしまった。 仕方なく、西国街道を逆行してこの交差点に戻って来た。

  同じ場所から街道を見たところ。写真左方へ向かう。(08:22)
  この駅舎から出てきた。新幹線の高架下を向こう側へ出る。

  すぐに広い車道に阻まれるが、すぐ右手を併走する国道2号線の横断歩道へ迂回するしか方法は無い。 迂回後西国街道に復帰した時点で、新幹線の高架を振り返ったところ。
 さて、本来の街道らしい落ち着きを取り戻して側道を行く。

 松の木々に囲まれた祠の有るところを右手(変形十字路を直進)にとり「三社神社」の横を通って進む。(8:31)
  大きく右手カーブして国道2号線と合流する(元々は直線的に合流していたように見える)。この辺りまで来ると、国道も上下2車線になっている。(8:35)

  暫く歩道を行くと、電気店の看板塔の有るところでY字路になっている。一方通行の脇道の方へ入る。(8:43) 大久保の地名が目立ってくると枡形などは無いが、もう大久保宿である。
  立派な住居が有り、手入れされた庭木が高い土塀から除いているので、すぐ分かる。「西国街道 大久保宿 本陣跡」である。(9:01) 往時の御子孫かどうかは分からないが、現在も住まわれているのは間違いない。

  少し先に有る、「大久保橋」を渡る。
  橋を二つ渡って暫く行くと左側に、崩れそうな洋館が一軒有る。「旧安藤彌三太邸」である。 この洋館に立ち寄られた訳ではないが、安藤家には「明治天皇大久保御小休所おこやすみどころ」として、石碑が建てられている。(9:10)
  広い道路に行き当たった角に道標が有る。「左 住吉社二見道」と記されている。真っ直ぐは行けないので国道に向け、右折する。(9:35)
  すぐに国道に出るので、側道を西進する。前にも有ったがやはりここも昔は直進していたと地図を見ていて確信した。 (GoogleMap参照)

  暫く国道を行くと「ガリバー」の看板が目を引く交差点に来るので右折する。(9:44) 国道右側には工場が建ち並びこの交差点まで続いている。この辺りが田圃だった頃には曲がりなりにも、あぜ道として残っていたと思われる。
  左折すべき、旧西国街道が唐突に現れる。黄色い車止めが無ければ見逃すほどの小道である。車道からは階段で下りる。(9:47)

  少し広い車道を横断する。角に鳥居が有り、右手突き当たりの金ケ崎神社へと車道に沿って続く参道が有る。西国街道は鳥居前を直進する。(9:56)
  間もなく、先ほどの金ケ崎神社の直前を通ってきた道と合流する。この角を回り込んだ所に古い道標が有る。「左 大山寺道」(10:00)
  この2枚の写真の間には、約1時間の道程が有る。 この間、多くの溜め池が点在する辺りに「長坂寺遺跡」と地図に有ったが工事中で見つからず、淡々と住宅街を歩いてきた。 道標「(右)是より はり満名所道 (左)左 別府手まくら松 をのへのかね 高砂相生まつ 道 (左裏)右 あかしみ(ち)」(10:59) 住宅街の路地、当時は一大交差点だったのかも知れない。
  瀬戸川(瀬戸川橋)を渡り、清水川を越えて住宅地を縫って進んで行くと、少し開けたところに出た。

  かなり国道2号線に近づいていて「はま寿司」が見えた。次の十字路でちょっと脱線して早めの昼食タイムとすることにした。(11:24)
  いわゆる回転寿司ではなかった。すべてタブレットで注文すると間もなく上下2段の高速ベルトコンベアですっ飛んでくる。 受付も何名とか端末に打ち込むとテーブル番号がプリントアウトされる。 システム化はどちらかと言えば好きだが、なんかシステムに指図され、好きなところにも座れないのはしゃくに障る。 せめて、好きなテーブルでボタン押したら伝票が出るようにして!!(11:30~12:07/16059歩)
  土山橋(喜瀬川)を渡る。  
  斜め横断だった踏切を直角に直したのだろう、元の街道が線路まで延び車止めが付けられただけで残っている。(12:38)

  暫くすると、国道2号線に合流する。(12:55)
  300mほど先で再び右に逸れ、2号線から離れる。(13:00)

  Y字路に差し掛かるが、真っ直ぐな道ではなく、少し左へ逸れる方が旧街道である。(13:10)
  右側ブロック塀の向こうに燈籠のような石積みが見えて来る。「五輪塔」である。(13:23) 室町時代の初期に造られたものと思われると案内されている。 地図上ではここを右折してJR神戸線沿いまで迂回するルートが示されているが商業施設とマンションのためルートが切断されたと考え、直進してみることにした。 (GoogleMap参照) さすがにマンション内は車も通れる道なんだがちょっと気が引ける。
  この辺りには野口城という城が有ったようだ。5、600m先に有る野口村道路元標。(13:52)
  観音寺というお寺を越えた辺りに、又石塔が建っている。 「宝篋印塔ほうきょういんとう」と呼ばれ、昔から和泉式部の墓と伝えられていると有る。(13:59)

  グリーンベルトのある4車線の道路にぶつかり、国道2号線の横断歩道に迂回して進むと、二号橋を渡る。かつてはこの橋が2号線だったのだろうか。(14:12)
  まもなく、自然と旧街道は国道の側道となり合流する。(14:15)

  国道が少し左へカーブしたところに、真っ直ぐ延びるように旧街道が有る。(14:19)
  広い道路に出る手前にその名も恐ろしい「胴切れの地蔵」が有る。 読んでみると、行列を遮って武士に手打ちにされたのに地蔵の胴が切れ、その者は助かったと言う事からそう呼ばれるようになったと有る。(14:28)

  広い道路を一つ越え、次の広い交差点に来る。JR神戸線加古川駅前通りである。(14:33)
  この辺りは自家町じけまち商店街のアーケードとなる。冬は日が差さず風が通り抜け結構寒い。

  アーケードも終わりと言うところに、姫路藩の加古川役所として建てられた「陣屋(山脇邸)」が有る。 1752年(宝暦2年)3月18日に建造、加古川宿を通行、宿泊する大名に応対していたとある。(14:48)
  現在は「陣屋」を商号とする人形店が営まれている。
  西国街道は大きく左に逸れ、国道2号線[加古川橋東詰]信号に出る。(14:57)

  渡し跡などは無いようなので橋が架かっていたのだろうか。(後日調べたところ、橋の上流側を歩いたため気が付かなかったのだが、 下流側へ5、60m離れたところに石積みが突き出している。これが渡し跡だそうだ)


  歩いた上流側側道横に新しい橋桁が建設中で耐震強度を増した新橋が2車線出来たら現橋を撤去、将来同構造の新橋を現橋位置に造り4車線化するそうだ。

  加古川橋西詰の先に右手に直進する西国街道が有る。(15:10)
  住宅地を20分余り行くと目の前が開け線路が見えた。本日のゴール地点、JR神戸線 宝殿駅前広場に到着することが出来た。(15:33)
  前回より大分早い到着となったが距離が2kmほど短いことも有るが、余り道草するところが無かったことも大きい。 日差しを受けて車窓から、今まで来た街道を手繰るのも楽しい時間となる。


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