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宮宿~鳴海宿~池鯉鮒宿

2011年8月13日(26844歩/7時間4分)



  名古屋で名鉄に乗り換え、神宮前駅で下車(左・左写真=8:37)。これからは名鉄名古屋本線にご厄介になることが多くなりそうだ。 早速、熱田神宮の東側を走る226号線を経由して前回通った丁字路へ(左・右写真=8:50)。
  北 さやつしま    寛政二庚戌年
    同 みのち   
 西 東 江戸かいとう   南 京いせ七里の渡し
    北 なこやきそ道    是より北あつた御本社貳丁

  伝馬町を東に進む(右・左写真=8:54)。県道に遮られ歩道も無いため国道1号線の歩道まで少し迂回する。
  「姥堂(うばどう)」と、元々その東にあった精進川に架かっていた「裁断橋」(右・右写真=8:59)。 1590年に息子を亡くした母親が菩提を弔うため架け替え、33回忌にふたたび志すが亡くなり養子が1622年完成させたとある。

  姥堂からすぐの所に名鉄の高架がある。その手前左側に宮宿の大きな案内板が建っている一角がある(左・左写真=9:02)。 「伝馬町の一里塚跡」である。看板に気を取られて最初は気づかなかった。
  新堀川を渡ってしばらくすると国道1号線の高架下に合流し、東海道本線の踏切を渡る(左・右写真=9:08)。

  1号線が下りきったところで二股になっているが東海道は(1号線も)右方向へ直進である(右・左写真=9:12)。
  さらに進むと、名古屋高速の高架下[松田橋]信号で国道1号線は右折して行くが旧東海道は歩道橋を渡り直進である(右・右写真=9:17)。

  すぐに、きれいな工場の前を通過する(左・左写真=9:21)。ブラザー工業瑞穂工場とある。この一角は歩道も奇麗に整備されている。
  町並みに入ってすぐ、初めての信号に来る(左・右写真=9:25)。ここを右折する。

  すぐ橋を渡るが、欄干の親柱を見て「呼続」の読み方が分かった(右・左写真=9:27)。
  次の分岐点までは結構距離がある。ほんの少し左へカーブしてしばらくすると「きしめん」と大きく広告されたビルのある五叉路に注意(右・右写真=9:44)。 ここを斜め左に取る。

  緩やかな坂を上っていくと道幅が急に狭くなり、十字路の向こうに踏切が見える(左・左写真=9:52)。
  笠寺商店街を抜け、環状線の[笠寺西門]という信号を渡ると「笠寺観音」の門前に来る(左・右写真=9:57)。 右へ迂回するように街道は進む。余りに暑いので南門の涼しげな木陰でしばし休憩する。

  南へ緩やかに下っていくと、如何にもそれと分かる「笠寺の一里塚跡」がある(右・左写真=10:11)。
  天白川という川を渡って二股になっている車道を右手へ直進する(右・右写真=10:36)。

  すぐに、突き当たりのように見える十字路[三王山]に来る(左・左写真=10:39)。 渡るのが県道59号線で旧東海道の県道222号線はほぼ59号線と平行するように南へ折れる。
  緩やかにうねりながら旧道らしい風情の町並みを南下すると[三皿]という交差点を渡る(左・右写真=10:53)。


  この辺りから「鳴海宿」である。三叉路を左に折れると宿場の中心街に入る(右・左写真=10:57)。
  100m足らずの所に小さな十字路が有るが、それを越えた右側に「鳴海宿本陣跡」の案内板のみが立っている(右・右写真=11:00/9800歩)。

  [本町]信号を過ぎてしばらくすると、角の取れたような枡形に差し掛かる(左・左写真=11:07)。 どうやら有名なお菓子屋さんが角に有るらしく行列が出来ている。
  中島橋(扇川)を渡る(左・右写真=11:11)。この辺りは桶狭間の戦いの折り、中島城があったと文献に記されていた。 桶狭間とはもっと谷深いところかと思えば丘のような起伏があるばかり。

  常夜灯のある[平部北]信号を越えると少し街道がうねり出す(右・左写真=11:20)。
  大きな自動車整備工場を右に見て過ぎた辺りに「名残松」がそびえている(右・右写真=11:25)。 その先を下った所の交差点が「四本木」という名前だった。

  さらに四本木の集落を進むと、新しくできあがったモダンな高速道路の高架下で手越川を渡り、名鉄の踏切を渡る(左・左写真=11:42)。 この高架の真下に「有松の一里塚跡」がある(のだが工事で、改めて整備するとの看板のみ)。
  有松の町並み(左・右写真=11:46)。「有松絞り」の文字が目立つ。

  間の宿としては大きな町並みである。ちょっと大きな道路を渡りさらに中心部へ進む(右・左写真=11:51)。
  ほぼ中心部だろうか、「有松・鳴海絞会館」という建物がある。 やはり有名な絞りの産地のようだ。ここでお昼とする(右・右写真=11:53~12:49/歩)。

  再び「手越川」を渡る。さきほどの上流のようだ(左・左写真=12:55)。
  しばらく行くと国道1号線に合流する(左・右写真=12:58)。[大将ヶ根]と言う信号を渡って国道の右側道を進む。

  間もなく、右へ逸れて国道と並行する道が有る(右・左写真=13:02)。しばらくこの道を行くと再び合流する。
  ちょっと左へカーブしたところに名鉄の高架がある。これをくぐってすぐに右手にそれて行く、旧国道らしき道に進む(右・右写真=13:12)。 ずっと1号線と名鉄に挟まれた形で並行して走っている。

  途中、「前後」という名鉄の駅前を過ぎてしばらく来た豊明小学校の前に「東海道名残の松」がそびえている。 徳川家康が東海道を開いたときに植えられたものとある。
  その少し先、高架道路が見えてきた辺りに「阿野の一里塚跡」がある。 高架をくぐるとすぐに国道1号線に合流である。

  名鉄 豊明駅近くにある[豊明駅東]と言う信号で左側道に移る(右・左写真=13:59)。
  高速の高架をくぐると右手から下ってくるランプウェイの高架があり、 その手前で左手へ迂回するように細い道路がある(右・右写真=14:01)のでそちらへ進む。

  境川に架かる「境橋」を渡りなだらかな下りを進んで行く(左・左写真=14:05)。
  間もなく国道1号線の[今川町]交差に出る(左・右写真=14:26)。ここは横断歩道が無くトンネルをくぐることになる。 まず左から来る車道を横断する。

  すると、渡りきったところに右手へ下りて国道の下をくぐるトンネルが見える(右・左写真=14:27)。
  トンネルを出ると国道へ戻る細い道に上がり、国道から右手へ(来た道の延長線上)入る。
  集落に入りしばらく辿っていくと、川のように彫り込まれた車道に突き当たるが歩道橋が架かっている(右・右写真=14:40)。

  もう一度国道を斜めに横切ることになるのだが、少し距離がある。手前に見える歩道橋を渡る(左・左写真=14:58)。
  歩道橋の上から見た、左手へ入っていく旧街道(左・右写真=14:59)。国道が広いのでかなり向こうに見える。

  五叉路に細い道が加わった六叉路のような所を右手(中央に見える細い道の右側)へカーブしながら横断する(右・左写真=15:04)。
  建物が邪魔をして細くなったところを通り抜けると、国道に合流する(右・右写真=15:08)。

  一里山町とあるのでどこかにあると探したのだが、一里塚を見つけられないままずっと左側を歩いてしまった。 実は何気なく取ったこの写真の歩道橋を渡って国道の右側へ下りたところにあったと後で知った(左・左写真=15:17)。
  ひとつ先の[逢妻町]信号を右に渡って一号線から右へ外れる(左・右写真=15:26)。

  すぐに、逢妻橋を渡る(右・左写真=15:41)。

  渡りきったところに堤防の上を走っている細い道から少し下って右へ折れていく旧街道がある(右・右写真=15:43)。

  国道155号線に行く手を遮られるが左手に横断用のトンネルがある(左・左写真=15:51)。
  ちょっと分かりづらいが、左へ入る道があり、その角に了運寺という寺が有る。正面の白い建物も目印になるだろう(左・右写真=15:54)。 ここを右に折れる。
  すぐに広々とした感じのする三叉路に来るが右側に[←岡崎 池鯉鮒宿]と書かれた石碑がある(下・左写真=15:57)。

ここを左に取り次の十字路をさらに直進するのが東海道であるが池鯉鮒宿の本陣は街道から外れたところにある。
  十字路を右折して国道まで出るとその角に「池鯉鮒宿本陣跡」の碑がある(右・右写真=16:01/26844歩)。
  そのまま、国道を渡って名鉄知立駅から帰路に就いた。

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