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豊川駅~瀬川宿~昆陽宿~西宮駅最寄り
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24.3km 39876歩/8時間30分
朝は15,6度という霧深い中を最寄り駅へ。JR茨木駅で弥次さんと合流して大阪モノレール彩都線豊川駅に着く頃にはもう半袖に。今日は大阪・兵庫は26度の予報である。
モノレールのエレベータを降りたところが本日の出発点(7:57)
滋賀県人としてはめっちゃ気になる飛び出しガール。10m向こうには滋賀発祥オリジナルの「飛び出し坊や」。
このお家の自作のようだ。まっ、堅い事言わず事故が無くなれば良い。(8:05)
春日神社御旅所の燈籠が見えてくるとY字路に合流する。
ここには西から来ると「
左 京ふしみ」の道標が有る。また、西に向いて祠が有り「
楠水龍王」と呼ばれています。
楠木正成が2回目に通った島本の櫻井で息子と別れ出陣した時、ここで井戸水を賞味したと
箕面市商工観光課ホームページにある。(8:15)
ずっと綺麗な石畳の道が続いているが、ここは少し変わって三叉路の横道から放射状に石が敷かれている。
交差点で道を見ると大きな鳥井。しかもそこには「
勝尾寺」の文字が。石碑道標で何回も見た「かつをじ」への参道であろうか。明らかに神仏一体を思わせる。(8:32)
立派な石垣が続く。結構長い。よじ登って確認したい衝動に駆られるも大人げないので暫くそのまま行くと、
高架下を過ぎたところに上れる側道が有り、隙間から大きな墓地で有る事が分かった。(箕面墓地公園 8:36)
大小いくつかの交差点を真っ直ぐ横断して来ると、国道171号線の[西宿2丁目]と言う交差点に合流する。(8:53)
西宿と言う地名からして
間の宿であろうか。
少し先に高架が2つ見えてくる。北大阪急行箕面線と新御堂筋である。(萱野交差点 8:57)
さらに300m程先に[萱野4丁目]と言う信号が有るのでここを左折する。(9:02)
左折して初めての十字路を右折する。この辺りは区画が完全に再整備され道路が付け変わっている感じがする。(9:04)
「
萱野三平邸址」。父の主君である美濃の旗本大嶋出羽守の推挙で
浅野内匠頭に仕え、
松の廊下の一件以後、仇討ちの同士であったが大嶋氏に迷惑が掛かるとの父の反対で、主君の月命日(1702年1月14日)に28才の若さで自刃したと案内に有る。
地元自治会により保存継承され、1973年大阪府史跡指定を受け1992年箕面市に寄贈されたと記されている。(9:11)
この辺りの街道に面した屋敷には昔からの建築物を大事に保存されている事が覗える。勿論このお宅も現実にお住まいになっているようだ。(9:12)
Y字路が有り、ちょっとどちらか判断しにくいが左へ進む。
実はこのY字路と先ほどの萱野三平邸址の間に「
芝村の高札場跡」が有った様なのだが見過ごしてしまった。(9:14)
西国街道を歩いて思う事は、京都を出てからずっとこのような石畳が続いておりこの力の入れ様は東海道以上だ。
アスファルト道と違ってかまぼこになっていない分とても歩きやすいし会話も弾む。(9:20)
再び国道171号線に合流する。実は合流ではなく西国街道は真っ直ぐ、ほぼ同方向で交差している。(9:29)
[
牧落]交差点を越え少し行ったところの歩道橋を渡る。
歩道橋の上から171号線と西国街道を望む。(9:35)
「
牧落の旧札場と道標」いわゆる高札場である。
ここは箕面・大坂道と西国街道の四つ辻に当たり道標も大小2基有り次のように書かれている。このような場所を「札の辻」と呼んでいるところもある。
大 坂 四り半
(小) みのをみち (大) 天神
はっとり 二 り
街道の名残を思わせる大木。そう言えば今日のコースには一里塚跡が見当たらない。都市部を越えてもっと西へ行けば有るのだろうか。(9:44)
阪急箕面線の踏切を渡る。阪急は左方向で大きく右カーブをして、この先暫く西国街道に沿うように走っている。
少し開けたところにやって来る。阪急箕面線 桜井駅の駅前広場である。(9:53)
「
瀬川宿本陣跡」瀬川・
半町立合駅所として、公用の人馬や荷物を継立てる所でもあった。(10:15 12154歩)
この三叉路は今までのコースからするとそのまま右手へ進んでしまいそうだが、この辺りから西国街道は大きく左に折れて南下し始める。(10:30)
171号線の高架下で再び
阪急箕面線の踏切を渡る。(10:36)
少し先で国道423号線と合流する。
423号線の歩道を進んで行くと、それと直ぐ分かる脇道が右方向に逸れて行く。(10:39)
暫く行くと先ほどの423号線が右側から曲がってきた[
石橋阪大下]と言う国道176号線との交差点を斜めに突っ切るように交差する。(10:43)
再び踏切が見えて来る。
阪急宝塚本線の踏切である。線路脇のちょっとした広場には「
旧石橋村の高札場跡と道標」が有る。
南北には大坂と池田・能勢を結ぶ
能勢街道が有り、この地で交わっている。
銘文(正面)
右 西宮 左 大坂 (右側)
すぐ 大坂 京 左 いけだ (左側)
右 妙見 すぐ 西宮
歴史街道 西国街道道しるべより抜粋 (10:49)
20分ほど歩くと
中国縦貫自動車道に行く手を阻まれる。昔はそのまま直進できたのだろうがかなり遠回りをして横断歩道を渡ると予想していた。(11:06)
ところが思いの外便利にも
西国街道地下歩道存在していた。
茶色い屋根が目を引いたので行ってみると階段が有りトンネルをくぐって地上に出るとすぐ目の前が西国街道の続きであった。
えっ、どっちと言う分かれ道。ここは左側へ直進する。(11:16)
暫くすると、坂道に突き当たる。ここは標識どおり一旦停止。実は予定ではこの突き当たりに歩道のような小橋が有るはずだったのだが通行止め。
いずれにしても川を渡らなければならないので、
左ではなく右へ坂を上り「豊島南住吉線」と言う車道へ出る。(11:18)
車道の橋を渡る時、予定していた橋が余りにも危なっかしく通行禁止もやむなしであった。(11:20)
渡りきった所に左へ下って、「大阪中央環状線」の向こう(左側)へ抜けられる。
ここは他のルート案内などを見ていると歩道橋を渡って更に車道の右側へ出るとしているものも有ったが、ここは経験と勘で左へ下りた。(11:22)
環状線の向こう側で右折して、それに沿って行くと環状線自体国道171号線に合流する。しばし歩いたところに西国街道の道標が有った。(11:28)
ルートが正しいと自信を深めつつ歩いて行くと、一つ橋を渡った向こうに大きな川に来る。「
猪名川」である。
明治44年陸軍大演習の時架けられたそうで「
軍行橋」と言うようだ。
地元の方の中には「ぐんこばし」が正しいとの意見もあるようだ。関西人としては分かるような気がする。(11:30)
ちょうど離陸してきた旅客機。そう言えば「りょかっき」と文字入力した自分に気が付いた。(ATOKは旅客機と変換してくれたが^^;)
渡りきった所を左折して、車道を避け堤防の上を行く。返って旧街道らしい雰囲気(実際はここは旧街道ではないが)。(11:40)
すぐ、堤防法面に小屋のようなものが有り、草むらが踏み分けられている。「
芭蕉翁歩みの地の碑・新建石橋碑」が車道に向かって建っている。
道路一杯に大型トラックが来るので「超」危険である。鎌が有ったら・・・と思うほどだった。(11:43)
この辺りと対岸が渡しで有ったようだ。(マップ参照)
すぐ先の三叉路(信号有り)を右折する。
何か香ばしい良い香りがすると思ったら「
Fabrica de HIRO cafe e doce Inagawa」と書かれたおしゃれなゲートが有った。
(11:45)
少し先でJR福知山線(JR宝塚線)の踏切を渡り駐車場を迂回する様にS字に進む。(11:50)
駄六川に架かる坂口橋を渡る。(11:56)
4,50mで綺麗に石畳の敷かれた街道同士が交差する。
伊丹郷町から北へ延びる多田街道で、多田神社への参詣道であると伊丹市のホームページに有る。
(
多田街道都市景観形成道路地区より)
綺麗に整備され歩いてみたくなる街道だ。この交差点には「
辻の碑」が有り、写真の右端、花壇の中に建っている。(11:58)
尼崎池田線と言う4車線の広い道路を渡ると今まで余り無かった急坂となる。「
伊丹坂」である。
西国街道は真っ直ぐだが、写真に写る脇坂を上がると「伝 和泉式部の墓」が有るようだ。(12:02)
五叉路に来る。直進ではなく斜め左にコースを取る。(12:09)
相変わらず、立派な門の有る邸宅が続く。この門は日頃の出入りには使われていないようだ。やはり旧街道の景観を大事にされているのだろう。(12:12
「
大鹿村」の石碑。東西2つに分かれた大鹿村が有り中程に
一里塚が有ったとある。
この松の木は一里塚を模しているのだろうか。また有馬街道との角に道標が有る。
(
伊丹市 大鹿交流センター前の道標)
(東面)すぐ西宮 (南面)すぐ 中山 ありま
(西面)すぐ 京 (北面)すぐ 大坂(12:15)
弥次さんが注目していた石の集まり? 水準点、電電公社標柱、官民境界標、地籍多角点のどれかであるか、その類いであるらしい。(12:31)
稲野小学校前の道標。大鹿村同様であるが、(南側)は中山
小濱、(北側)は尼ヶ崎 大坂になっている
(伊丹市 稲野小学校前の道標)
能因法師が詠んだ和歌の碑が有る。
芦のやの こやのわたりに 日は暮れぬ
いづち行くらむ 駒にまかせて (12:38)
[昆陽4丁目]と言う交差点で昼食にしようと少しコースを南へ外れて探していると「
揚げたて 天ぷら豊」と言うお店が有った。
若い店主と20代前半の店員さんも愛想良く、ボリュームたっぷりのランチ限定天丼を気持ちよく美味しく戴いた。(12:56-13:20)
蛤御門はまぐりごもんの変で敗走した長州勢がこの橋で踏みとどまって戦ったとされる「
長勢橋の碑」。
(
伊丹市 長勢橋の碑) (13:23)
この四つ角の北西の角に「
川端本陣」が有ったとホームページに記されていた。(情報なく通り過ぎてしまった。)
更に大ミス。ここは「
昆陽宿佐藤本陣跡」の地点なのだがマーカーをずれて付けていた為、筋向かいのお家を撮影してしまった。(13:26 24666歩 マーカ付け直し済み)
旧街道筋には何処にも有る「
庚申祭所」。
少し調べた。庚申とは干支の
庚申の日の事で、この日の夜眠っている間に体内に潜む虫が天に昇り天帝にその人の所業を報告し、
それによって寿命が左右されるとの事でその日は寝ずに過ごしたのが祭りの始まりだとか。(13:32)
「西国街道昆陽宿跡碑」このタイプの石碑案内を数多く見かける。また真新しい「西国街道」とだけ書いたものもポイント・ポイントに建っている。
街道沿いの市町村の力の入れようが伝わって来る。
171号線に合流します。ここにも新しい道標がよく目立つように立てられている。ここから暫く国道の側道を進みます。(13:40)
左側から近づいてきた車道が171号線と合流する三角エリアに地下横断歩道の入口が有る。反対側に出るとすぐ目の前に歩道の保護柵の切れ目が見える。
そこから階段を下り、小さな川を渡って一段下の道に下りる。(13:53)
少し右に行って左折する。171号線沿いから緩やかにこの左折した道に繋がっていたのか、今通った階段や橋も含めて旧東海道なのかは分からない。
(一筋目を左折なのに、二筋目まで行ってしまった。)
(従って、この交差点を右折したが、本来はこの交差点は左から右へ直進しているはず)
正しくは、一筋目を来ると公園にぶつかり右に折れざるを得ない。(13:59)
真っ直ぐ来ると少し道幅が狭くなったところに児童遊園地が有る。ここにも新しい道標が建っていて街道で有る事を確認できる。(14:03)
再び国道171号線に合流する。[昆陽里]という交差点近くである。ここから国道が直線の間ずっと側道を行く。(14:07)
やっと左へカーブし出したなと思われるところにアクリドームのような地下横断歩道の入口が有る。(14:16)
広い171号線を横断して向こう側に出ると、来た方向の延長線上に旧街道が延びている。
この写真を撮った辺り、右側に間もなく至る髭の渡しの名前の由来となった、髭のじいさんが営む「
髭茶屋跡」が有ったのだが気づかず通り過ぎる。(14:24)
信号の有る交差点を石垣に沿って右折し急坂を上がる。
堤防の上は結構交通量が多く注意して横断すると、一段下った所に燈籠と社が建っている。「
髭の渡し」である。(14:26)
タイミング良くコスモス畑満開。オレンジ色のコスモスもとても綺麗でした。それてしても人が多い。(14:27)
早々に少し川を下った所の「
甲武橋」に迂回して「
武庫川」を渡る。
渡りきった所に堤防を下りる階段が有るので、先ず車道へ居り、車道を横切ったところに有る階段を少し上がって、広い河川敷(自転車専用道路も有る)を遡る。(14:50)
ちょうど対岸を見晴らせる所で撮った渡しを思い起こさせるような景色。こちら側にも「
髭の渡し」の案内板が有る。
そこから堤防を見ると、すこし戻った所に階段が有り堤防上の車道へ上れる。横断歩道が無いので注意して渡り、右へ下っていく旧街道へと進む。(15:06)
「報徳学園高校」の前を過ぎ少し下っていくと、グリーンの歩道が途切れるところが有る。電柱の陰に<
旧西国街道]の標識が見える。(15:10)
突き当たりを斜め右に取り、後は道なりに進んでいくと車道に出るが、西国街道はそのまま真っ直ぐ車道を斜めに横切る。
元々街道だったからか、歩道隣の土地が街道方向にカットされている。(15:15)
山陽新幹線の高架下に突き当たります。車道ではなく横断歩道が有るので公園(新幹線高架下2号児童遊園)を抜けて向こう側に出る。(15:19)
新幹線沿いの道路から離れて、住宅街へ入る。
三叉路に突き当たるが、目の前の電柱に
<旧西国街道]の標識が見える。(15:23)
少し先の十字路にも
[旧西国街道>が有り、右折する。
さらに少し先の三叉路を左折する。どうもこの曲がり方不自然さを感じていた。現代の理由で何かを迂回しているのではと思えたからだ。
後で地図を見て理解できたのだが水道の送水センターが出来た時本来の西国街道が失われたのではないか。(あくまで想像)(15:26)
暫く住宅街を行くと「中津浜線」という車道の三叉路を斜めに突っ切って居り、変則の五叉路を形成している。(15:30)
強い日差しが真前から照りつけとてもまぶしい。シルエットになってしまった往時を思わせる大木。(15:33)
駐車場の脇、赤い歩道の電柱横に2つの道標が立っている。別の場所にあったものをここに移したとある。
ここは四つ辻で甲山大師、厄神明王へお詣りする道や大坂・尼ヶ崎に向かう道が交差する。(15:38)
左道標(1740年頃建立) すぐかぶと山観音
右道標(正面)日本三躰 厄神明王道 (南西)是ヨリ西宮江三十丁
(北東)すぐ尼嵜大阪 左伊丹池田京 道
踏切を渡って「阪急門戸厄神駅」を通過する。ここは当初西宮まで歩けなかった時の予備終点にしていたところである。(15:43)
「やくじんさん筋」との三叉路。厄神道標と並んで神戸女学院の案内も有り、門戸厄神の駅に向かう女性群に圧倒されたが理由が分かった。
写真に写っている道路は西国街道ではなく、交差している「やくじんさん筋」。(15:53)
真っ直ぐに来て微妙なY字路と言うか十字路に至る。ここは破線が路面に引かれているとおり?直進する。
更に真っ直ぐ行くと又もや微妙なY字路。こちらは左へ取る。元々は小川で隔てられてた様子。(16:02)
すぐに次のY字路を右折。宿場ではないのに
曲尺手(小さな枡形)のようである。(16:03)
川に突き当たるので少しオフセットして架かっている「広田橋」を渡る。
橋向こう川岸の車道を左へ進む。
国道171号線の角を右折して歩道橋か次の信号で反対側の側道へ移る。
直角に迂回したように思えたので、この一角を占める西宮市中央運動公園の中を抜ける道を通って、広田橋から171号線を離れるつぎの三叉路を繋いでみた。
(横断歩道が無いので実際には繋げないが・・・)
眼鏡市場手前の、<西宮子供家庭センター]の標識がある三叉路を左折する。(16:15)
大分日が傾いて来たが予定した時刻よりは早く着けそうだ。
阪急神戸線の高架下を抜けて南下する。(16:20)
山手幹線と言う4車線の道路に突き当たる。残念ながら西国街道専用横断歩道は無い。左も右も交差点はちょっと距離が有るが回るべきだろう。(16:24)
本日最後のコーナーが西日に輝いています。
JR神戸線西宮駅への三叉路。本日の終点で有る。ここから橋を渡って真っ直ぐに行けばすぐ駅である。
西宮駅は、多分生まれて初めてだと思う。(16:38 予定17:00 39876歩)
次回はまたここからスタートになる。JR線だと乗ってしまえば一本、新快速でも快速でも僅かしか違わない。これからはずっとご厄介になる。
(11/16 完)
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