西国三十三所ドライブ 施福寺(4)・葛井寺(5)
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第四番 槇尾山 施福寺(槇尾寺)
標高485mに有る、西国霊場の難所と言われるところ。
しかしそれには御利益が有り、ゆっくりと一段一段が低い自然石の階段を上がった先の本堂内には、足腰に効く馬頭観音が安置されている。
連れ合いは、身は入ったが膝はそれ程でも無かったと後日談。
土産物屋さんの有る駐車場から暫くは舗装された坂道を行く。下りてきた若い男女が上に返す場所が有るからと杖を貸してくれた。
仁王門下にて
足に自信のある人は30分ほどだが、一時間くらい掛けるつもりでゆっくりと・・・。
もう一足という所に建つ、空海(弘法大師)が剃髪したと言われる「愛染堂」。
また、ここを折り返すとその髪を納めた「御髪堂」が有る。
山々を展望できるテーブルが有り、登山用レンジで焼き肉中の老夫婦が居たり、広々とした前庭。
戦国の戦い(信長と対立)で焼けた仁王門や本堂は豊臣秀頼が再建したと案内書に有る。創建は欽明天皇時代(539年~571年)
その後も、江戸末期の山火事で仁王門以外が消失したらしい。
御本尊 弥勒如来
花山法皇を馬が案内したと言う伝説に因んで立てられた銅像。
深山路や 檜原松原分けゆけば
巻の尾寺に 駒を勇める (御詠歌)
梅が満開の観音堂
西国三十三所と番外の観音像が安置されている。
ここまで下りてくるとあと少し。何か下りる時はそう痛くないと言ったとか言わなかったとか・・。
仁王様にお別れを言って下山します。
第五番 紫雲山 葛井寺
近鉄南大阪線の藤井寺駅間近に位置する、「葛井寺」は長い参道も無く、南大門門前のコインパーキングに駐車し、南大門をくぐると一直線に本堂に向かう石畳が参道である。
そして、参道の両側にすべての伽藍が配置されたコンパクトな境内である。
南大門 江戸時代に建てられた国の重要文化財
西門(国の重要文化財)は、兵火などにより消失し、豊臣秀頼が再建したもので、境内の建造物としては最も古いそうだ。
聖武天皇の名により行基が創建したと言われているようだが、
平安初期には
西国街道を歩いていて度々登場してきた、
平城天皇の皇子
阿保親王とその子 在原業平は建造物の整備・造営にも関わったらしい。
また、同じく
山崎道に登場する
楠公(楠木正成)
親子はここを拠点にしたことも有ったらしい。
紫雲石灯篭と本堂
どちらの灯篭を指すのかは分からない。
修行大師
大師道
専心龍乗観音菩薩立像
本堂正面
ここではお線香を寝させて供える。
秘仏とされることが多いご本尊は毎月18日と決められているが、開帳される。
国宝十一面千手千眼観音菩薩
は光背のように広がる、本当に千本の手を持ち、掌には眼が描かれている。
今日時点では、「阿弥陀堂」は令和の大改修中
お話を聞いていると、改修のつもりが蓋を開けると、建てかえになってしまったとのこと。
南大門の内側に掛けられた屏風絵
往路はスマホのテザリング入れ忘れで線が引けてなかった。ペイントブラシで青い線を引いてみた。
ID-51PlusのGPSデータを入れると言う方法も有るのでしょうが、何しろ無精で・・。
行きは良い良い返りは怖い・・ではないけれど、帰路は失敗続き。
まず、藤井寺インターでゲートをくぐってから大阪方面と思ったらゲート自体が大阪方面と名古屋方面と区切ってあって・・・。
元は入った後にどちらにも行けたようだが、私のようなのが居て危ないからだろうブロックを置いて区切っていた。
そのまま名阪・新名神とも思ったが戻ることにした。
第2弾が有る。これは完全にナビの不手際。とも言えないが一旦地図から離れて別の操作をして戻ると、どう見てもルートが違う。
「新しいルートを設定しました。次の信号でUターンしてください。」と仰る。あほ言え地下に入ってるのに信号有るかいと思って気が付いた。
地上の道を指している。じゃ地上に出るまでと・・やっとナビと現実が合致した。久し振りに運転を滋賀モードから大阪モードに切り替えた。
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