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四日市宿~桑名宿~長島(佐屋街道へ)
2011年3月20日(歩/6時間)
JR関西本線 四日市駅。前回もそうであったが割とひっそりしている。早速近鉄四日市駅に向かってスタート。(左・左写真=10:03)
中央に大きな並木のある大通りである。旧街道には歩道がないので右側へ移っておく。
国道1号線を越え、まもなく近鉄駅ビルというところに「
表参道スワ栄」というアーケードがある。(左・右写真=10:13)
これが旧東海道、本日のスタート地点である。
商店街を進んでいくと左手に「
諏訪神社」の石碑が建っているところで国道1号線に出る。(右・左写真=10:22)
ここは国道と区画整理で下・右写真のように旧道が無くなっている。近くの交差点を渡り国道1号線の右歩道を二筋進むとマンション
(右・右写真=10:26)が有るので右へ折れる。
初めての十字路がかつての方向を示すように緩やかにカーブしているのですぐ分かる。(左・左写真=10:27)
西南の角に「
京いせ道」と彫られた石碑が建っており、旧道の有った場所を示す案内地図も建っている。(左・右写真=10:28)
この辺りに本陣があるはずだが分からずじまいだった。(1152歩)
「
なが餅」で有名な笹井屋本店(右・左写真=10:39)。私は買わなかったのだが後に他の文献で
藤堂高虎が足軽時代に
「
我武運のながき餅を食うは幸先よし」と言って食した逸話によると知りちょっと後悔した。
二つ目の川に突き当たると、ちょうど川向こうが旧道だが、並行して走る国道1号線の「
海蔵橋」へ迂回する(右・右写真=10:53)。
橋の北詰を右に入ると堤防の一段下に「
三ツ谷の一里塚址」の石碑がある(左・左写真=10:56)。
ここで堤防を居りるとそのまま旧道に入る。
すぐ、目の前に国道が見えてきて合流する(左・右写真=10:58)。近い信号で国道の右側から、左側へ渡っておくと良い。
「金場町」信号を越えしばらくすると「東京書店」という大きな看板がある。その先で旧街道は左へ逸れている(右・左写真=11:09)。
弧を描くように進んだ後、十字路を直角に右折する。とはいえ、道路表示のとおりに歩けば一本道である(右・右写真=11:11)。
[←志氏神社][< 東海道 >]の標識。この辺りはこのような道標が整備されており、
旧東海道を歩く者を意識してくれているようだ(左・左写真=11:15)。
「
かわらづの松」(樹齢200余年)。
道路拡張と松食い虫でこの1本を残すのみとある。この地域は昔、川原津と呼ばれていたのが由来だそうだ(左・右写真=11:19)。
小さな川を渡ったところ(八田)に「
常夜灯」が建っている(右・左写真=11:28)。ずっと国道1号線と並行しているのが分かる。
自動車道の高架をくぐり、しばらく進むと突き当たりとなり、左へ折れる。枡形の入り口である(右・右写真=11:38)。
枡形の出口は直進のある丁字路であるが、左側に明治の「力石」が保存されている(左・左写真=11:40)。
「
明治天皇富田御小憩所址」。この富田小学校正門から隣の市民センターを含む大きさの「広瀬五郎兵衛家」に4度御小憩になったとある。
(左・右写真=11:50/この写真のみ進行方向とは逆)
近鉄富田駅最寄り(右・左写真=11:52)。駅までは200mほどである。
間もなく、丁字路にぶつかるので左折する。これで近鉄線と関西線の間を北上することになる。
近鉄名古屋線と関西本線が直角に交わる辺りに「
冨田の一里塚址」の石碑がある。石碑には「ワ冠の冨田」が使われている(左・左写真=12:00)。
近鉄の高架をくぐり数百メートル行くと、丁字路を右に折れる(左・右写真=12:07)。車道の区画として右折が優先されており間違うことはないだろう。
高架下の関西本線踏切を渡り、東寄りに北上すると朝明川という川を越えて朝日町に入る(右・左写真=12:26)。
ここで「伊勢湾岸自動車道」の高架をくぐり、すぐ下の「柿」信号を直進する(右・右写真=12:30)。
ほぼ一本道であるが、柿集落の中で一度、直角に右折する(左・左写真=12:39)。
「TOSHIBA」の大きな看板が見えて来る辺りに丸坊主のオブジェのような大木がある(左・右写真=12:55)。推定樹齢約300年の「
榎」である。
松の木に混じって、並木とされることがあったとある。松食い虫の被害からも免れた。
近鉄名古屋線伊勢朝日駅横の踏切を渡った所にある交差点(右・左写真=12:58)。旧街道は直進である。
「
縄生の一里塚跡」。建物の陰に石碑のみが建っている(右・右写真=13:04)。
縄生の街を抜けると員弁川(町屋川)にぶつかる(左・左写真=13:12)。ここには「
町屋橋」が架かっていた。
国道1号線にかかる町屋橋に迂回し、「町屋橋北詰」の信号を左折して旧街道に復帰する。常夜灯のある交差点を左へ行くと旧町屋橋の北詰が公園になっている。
旧町屋橋北詰から来ると直進となる交差点を望む(右・左写真=13:19)。保守は大変だろうが歩行者用町屋橋があったらいいなと思った。
国道258号線の高架を越え、しばらく行った福江町の食堂でそばを食べ、一呼吸。すぐ先に半鐘櫓のある変則的な丁字路がある。
黒い蔵が目立つこの交差点を右折する。
道路に突き出すように鳥居が建っている(左・左写真=14:21)。「
立阪神社」の石碑があるが、地図は「立坂」であった。
向こうに見える国道1号線のも越えて直進する。
国道を越えてすぐに曲がりたくなる丁字路があるが、我慢をして信号2つ目まで行く(左・右写真=14:25)。戻っているように感じるのだ。
二つ目の信号「日進小学校前」の手前・右角に左折の道標がある(右・左写真=14:33)。見逃すとその先も東海道のような道が続き迷ってしまう。
交差点からすぐに左へ入っていく旧東海道がある(右・右写真=14:33)。
すぐに、広い車道と交差するが歩道はない。さらにまっすぐ進んでいくが次の左折ポイントは要注意。
見逃しそうな道標よりこの模型屋さんがよく目立つ(左・左写真=14:41)。
ここからの枡形は一般的なものと違ってコ形(ある意味本当の枡)である。まず突き当たりを右折する(左・右写真=14:44)。
すぐぶつかる変則的な丁字路を右折(右・左写真=14:44)。
さらに丁字路に突き当たって左折である(右・右写真=14:45)。これで本来の進行方向を向く。
大きな車道をひとつクリアして直進する。十字路であるが、先は狭く進入禁止標識のある所を右折する(左・左写真=14:50)。
国道1号線「京町」信号を渡り、直進(左・右写真=14:51)。
しばらくすると、川沿い(実は
桑名城堀跡)に東海道を模した公園が見える丁字路を左折する(右・左写真=14:54)。
折角だから五十三次を抜け一路七里の渡し跡へ。
鳥居が建っている一角が「
七里の渡し跡」である(右・右写真=15:04)。角の道標には「東海道 右へ」の表示がある。
一応少し右手へ行ってみたが、海につながる堀を渡り桑名城跡(九華公園)へつづいている(左・左写真=15:05)。
鳥居前まで戻り、来た道の先に「七里のわたし」の石碑を発見(左・右写真=15:06)。この突き当たりを左折して長島に向かう。
ここから先はもう東海道ではないと思って出発して驚いた。「
桑名宿本陣 船津屋」が街道から離れた所にあったのである(右・左写真=15:07)。
これでけじめが付いた。後は佐屋街道入り口まで船旅代わりのウォーキング。コースはアバウトでいい。揖斐川沿いを北上(右・右写真=15:16)。
遙か遠くに見えていた国道1号線の「伊勢大橋」を渡る(左・左写真=15:33)。とても長い。
桑名から佐屋まで一挙に歩くなら長島に沿って揖斐川と長良川を分ける「中堤(県道106号線)」を行くと左右水に囲まれ気持ちが良さそうである。
長島を半分ほど横断した辺りに「長島駅口」という信号がある(左・右写真=16:01)。5,6分で駅に着く。今回から名古屋駅経由となる。
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