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ANOTHER DECADE

from 2022 when it's begining after/with CORONA Virus.

西国三十三所ドライブ 壺阪寺つぼさかでら(6)・岡寺おかでら(7)

4月
11
2024
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弘法大師 空海は真言宗の開祖。石像のような姿で全国を行脚された。

それ程信心深くはないが子供が少なくなる今日この頃、我々も夫婦お互いの先祖が眠る墓の墓じまいを済ませ、西国三十三所のひとつに両家の墓をまとめ、子供たちへの引き継ぎを済ませた。

そのご縁で気楽にではあるが車で巡っている。

第六番 壺坂山つぼさかさん 壺阪寺つぼさかでら南法華寺みなみほっけじ



奈良県で最も南部に位置する、西国六番観音霊場「壺阪寺」である。残念ながらの葉桜で一面桜色とは行かなかったが、まだまだ気分は味わえた。

それにしても、インバウンドも多く霊場巡りと言うより観光地となっている様子。全体として美術館の様・・というのが私の印象だった。

本堂内ではひな壇が設けられ華やかなこと・・。しかし中には明らかに外国からの旅行者と思われる方が御朱印帳に書いて貰っているのも見かけた。

そう言えば、過日知り合いのご住職がスペインへ行ってサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を歩き、その後三十三所巡りと提携を結んだとアナウンスされていた。 我々より本気の巡礼者が居てもおかしくない。

上の仁王門には残念ながら仁王様は居られません。再建途上の様子である。

階段を上がると多宝塔が有り、左手の奥へ進むと夫婦観音の石像が有る。

戻ってくると多宝塔の向こうに20mの高さの「大観音石像」が見える。インド政府からの寄贈でデカン高原の花崗岩で造られているそうだ。

階段の続きを上がると踊り場に十一面千手観音座像が二体安置されている。

更に右手の階段の上には「慈眼堂」という一種の門の様なお堂が有り、マーヤ夫人の脇の下から生まれてから涅槃までの、釈迦の一生が記された絵が展示されている。

受付をして御朱印を押して戴いたあと、本堂へは無料で入ることが出来る。「一杯写真も撮ってくださいね。」と言われて少し驚いた。

拝観入口に「不動明王立像」が安置されている。

礼堂」(普通では本堂に見えるものは本堂ではない)はお雛さまで一杯である。

人形店寺の隙間を通って奥へ入るとそこは一段高くなっていて礼堂とは別棟の「本堂 八角円堂」に鎮座されている本尊「十一面千手千眼観音座像」の正面となる。

2023年御本尊改修時に復元されて、江戸時代に造像された往時を偲ぶ「大日如来像」。
この一枠を一面として十面のレリーフが繋がり釈迦一代記を表す「佛伝図レリーフ」は圧巻である。

第二面の中央に、「マーヤー妃が出産のため実家に帰る途中、ルンビニ園で産気づき、無憂樹の枝に右手をのばしたとき、右脇から太子が誕生した。太子は自ら地上に降り立ち、 右手を高く上げて七歩あゆみ、『天井天下唯我独尊』と獅子吼えされた」と説明の有る、釈迦の誕生が描かれている。

第十面では体力を消耗された釈迦が横たわる「涅槃」が描かれている。

礼堂の縁側からもう一つの一代記が描かれていた「慈眼堂」方向を見ると左手に「三重塔」が有る。

さらに真っ直ぐ奥に進んだところに「天竺門」が有り、さらにトンネルを抜けて坂を上ると小高い山の上に達する。

この最も高いところに1983年開眼した「大観音石像」が安置されている。

広大な敷地に多数の伽藍が立ち並ぶ様は圧巻であるが「壷阪大佛」と呼ばれる石造座像も大変目を引く存在である。

第七番 東光山とうこうざん 岡寺おかでら龍蓋寺りゅうがいじ



壺阪寺から169号線を少し北上して右手(東方向)へ折れると、古墳群を通り抜けて間もなく明日香村に入る。 鳥居をくぐりすれ違い不可能に見える細道を少し上ると駐車場に到着する。

駐車場から階段を上がると「仁王門」前に来る。ここで入場受付を済ませる。

バスも多く賑やかな美術館のような壺阪寺から、私のイメージする観音霊場と言う雰囲気になりちょっと落ち着く。

仁王様にご挨拶して参道を右へ、左へと折れながら上っていくと正面と右手に分かれているが、先ず真っ直ぐ本堂に向かう。

上り着くと先ず「鐘楼堂」が目を引く。自由に鐘をついて良いと書いてある。

葛井寺でも思ったのだが何故か参道のど真ん中に灯篭がドンとある。細かな細工が施され立派なものである。

本堂は撮影禁止になっていた。御朱印を戴いて蝋燭を手向けた。

この岡寺は義淵ぎえん僧正が663年開創したとされるが、案内には次のように有る。

    義淵僧正
    飛鳥を荒らす悪龍を其の法力により
    石の蓋をもって 池に封じ込め
    改心させる龍は善龍となり
    今もこの池に眠る
    この池を龍蓋池りゅうがいいけと名付け
    龍蓋寺(岡寺)の始まりとなる

龍外池の脇を通り少し先の右手、階段を上がったところに「宝篋印塔ほうきょういんとう」と言う十三重石塔が有る。
今歩いている西国街道沿いにも沢山存在しているが、ここに有るものは大きさが並ではない。



鳥居をくぐり緩やかな坂を上っていくと突き当たりにお稲荷さん(稲荷社)が有る。






その右隣、すこし上がったところに・・・

奥之院石窟」が有る。

そこから山の中腹、一段高い所を回廊のように小道が巡っていて、義淵僧正廊所や歴代の墓も有り、シャクナゲの小径になっている。
シャクナゲは非常に沢山の株(約3000株とも)が生えており、もう少し後だともっと咲き誇って居たかも知れない。

小径は「三重宝塔」で折り返す。

塔の裏側は飛鳥が見渡せる絶景の高台である。

塔の軒下四角には琴の装飾品が吊り下げられている。これも珍しい。

折り返して大師堂へ下りる小径も花一杯。

弘法大師の石造前には石板が2枚敷かれている。

手前は、四国の地図が描かれており、石板の下には西国八十八ヵ所すべての砂が納められている。

「まず、『お砂踏石板』に乗り、次に『蓮の石板』に進んでご参拝ください。」と書かれている。


太師堂から階段を下りる所に有る「しだれ桜」。白い唐傘が幾つか段違いに飾られて(何か目的が有りそうだけど)とても風情がある。

仁王門の軒下四角には彫像が取り付けられており、それぞれ獅子・うん獅子・龍・虎の四種となっている。

受付前まで下りてきて気が付いたのだが、自然石に「下馬」と掘られたものが参道横に立っている。 受付の方に聞いてみると、例え侍でもここで下馬して参拝するようにという事だそうである。


長谷寺は帰路でも傍を通るのでどうしようかと思っていたが、ナビによると到着時刻は四時半頃となるようで、 400段の階段を上ることを考慮すると五時までにはとても慌ただしいので次回にすることにした。

行き帰り高速無しでの約230km程の旅であった。

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