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畑宿(間の宿)~小田原宿~二宮駅最寄り

2016年10月20日(8時間17分/33599歩)



  これぞ、日本の朝食と言うべきご馳走をしっかり戴いて、7時58分「たちばなや」さんを出発。(左・左写真=7:58)
  ほんの100m足らずでバス停の所にある「畑宿 茗荷屋本陣跡」がある。ここには立派な庭園が有り、旅人の評判となったと記されていた。 旅人の中にはハリスなど幕末の外交使者も居り感嘆したとある。病人など以外は泊まれなかった様だ。

  集落の外れ県道が大きく左カーブする所に、直進するように旧街道の入口がある。(右・左写真=8:11)
  山中に入るとすぐに石畳が始まる。昨晩と違って朝日に照らされ軽快に進む。(右・右写真=8:13)
  この辺りの石畳は江戸時代初期のまま保存されているそうだ。杉並木は森と一体化していて整備した形跡は見当たらない。

  しかし、街道の構造を調査した結果が案内板として掲げられていたので、今後の参考にと掲載した。(左・左写真=8:21/箱根町教育委員会)
  谷間の小橋を渡って少し荒れた石畳を上ると上に県道への合流点が見えてくる。(左・右写真=8:25) この急坂は先ほどの構造図どおり道路脇に排水路が確認できる。

  県道に出ると、旧街道代わりの歩道が有り、そのまま県道沿いに200m余り進んで行く。 その歩道が途切れた所に <湯本 の標識が有り、筋向かいに旧街道が有る。(右・左写真=8:29)
  幅の狭い小橋を渡り「江戸時代の石畳」を緩やかに下って行く。(右・右写真=8:34) 県道より少し高い所を、県道に沿っている。

  この下り坂が「割石坂」であると言う事が、県道への合流点にある石碑で確認できた。(左・左写真=8:38) さて、ここからしばらくの間は県道を歩く。歩道が無く見通しの良い谷側(幸い東行きは右側)を進む。
  「箱根 大天狗山神社」が見える頃には道路も新しくなり歩道も付けられている。(左・右写真=8:44) と思ったらまたすぐ歩道が無くなってしまった。

  「須雲川」を渡ると谷側が左となる。さすがに地元ウォーカー、何で左を歩いてるのだろうと、最初思ったが意味があった。 間もなく湯本の街、立派な杉並木が残されている。(右・左写真=9:03)
  眼下の川沿いにホテルや温泉旅館が見える頃、[箱根観音 福寿院]と言う看板が道路左に見えてくる。ここから車道を離れて、谷へ下るように進む。(右・右写真=9:28)

  箱根湯本ホテルの裏道のように続き、ホテルの連絡橋のようなものの下で「猿橋」を渡る。(左・左写真=9:32) この辺りもちゃんとした石畳が続いている。
  間もなく、山紫園というホテルの横を通って県道732号線に、再び合流する。(左・右写真=9:38)

  合流してから約100m、急な下り左カーブの左側(そこにいるだけで危ない)に「湯本茶屋の一里塚跡」がある。(右・左写真=9:42) グーグルマップにも「湯本茶屋」の標記がある。
  現在の国道一号線は須雲川対岸の箱根湯本駅前を走っている。旧東海道の走る、こちら側には県道732号(多分旧国道一号線)と箱根新道(一号線バイパス)の3本が有る。 須雲川改め、早川に掛かる三枚橋を渡り右折する。(右・右写真=10:25)

  箱根旧街道(旧東海道)ではほとんどの所で、仮に国道のような車道であっても、このように側道として石畳の歩道が整備され旅人を迷わせない工夫が施されていた。 (左・左写真=10:32)
  しばらくすると歩道橋が架かっており、国道一号線の左側(北側)へ移る。(左・右写真=10:33) そのまま行ってしまうとバイパスの複雑なランプウェイに巻き込まれ旧街道に入れなくなってしまう。

  白いコンクリートの擁壁に沿って行くと、箱根登山鉄道が左へ逸れて行くのに合わせて、旧街道も国道一号線から分岐する。(右・左写真=10:39)
  ここでは、500m程で一風変わったモニュメントの有る所で、再び国道に合流する。(右・右写真=10:46)

  歩道は階段を上がる。その下の車道脇を歩けなくはないが、今日は未だ足の筋肉をそれほど使っていないので上へ・・。(左・左写真=10:47) 眺めが良く電車もよく見えるのがメリットか?
  すぐ、又階段が有り下りた所から旧東海道は左へ分岐する。(左・右写真=10:49) 小田原のかまぼこ・ひものと書かれた食事処が分岐点に有ったがちょっと早いのでパス。頼朝の馬が石橋に蹄痕を付けたとされる「駒の爪橋跡」が有る。

  今度は、箱根登山鉄道の踏切を渡ってさらに山手を進む。(右・左写真=10:53)  小田原と強羅を結ぶ本線は少し先に見える「入生田駅」から「箱根湯本駅」が狭軌(1,067mm)と広軌(国際標準軌:1,435mm)を併設した三線軌条となっている。
  箱根口IC方面への三叉路を通過。(右・右写真=11:11) ここから100m以内の左側、三叉路(秋万酒店)少し奥に「風祭の一里塚跡」が隠れている。 残念ながら見過ごしてしまった。

  風祭の集落を過ぎると、小田原厚木道路の高架下で、箱根登山鉄道の踏切を渡って線路伝いに国道一号線を行く。(左・左写真=11:20)
  [上板橋]の三叉路を左に取り国道と一旦分岐する。(左・右写真=11:32) ここまで400キロ以上ずっとそうであったが国道から離れると旧東海道らしくてほっとする。

  ここでも歩道が石畳になっていて雰囲気を出してくれる。神奈川は旧東海道事業に結構お金を掛けている印象である。 間もなく新幹線のガードをくぐって右へ折れると国道に出る。(右・左写真11:46) 形からしてここは枡形で「板橋口」と呼ばれていた。
  また、ちょうどこの交差点の名前になっている「板橋見附」があった場所でもある。(右・右写真=11:48) この先は国道一号線に沿って進む。

  小田原城の南側を東進する。[箱根口]の信号は元々城から箱根方面への出入り口であったようだ。目の前にお城を模した「ういろう」の店がある。 この辺りから道路右側に4軒の本陣が有ったとある。城東側を南北に走る道との三叉路[本町]には「小田原宿なりわい交流館」が有り、古地図の掲示も有る。
  少し先「みやのまえちょう」の石碑の所に4軒中筆頭の「清水金左衛門本陣跡」がある。(左2枚=12:15/17174歩)

  しばしの休憩を取り昼食までにもう少し歩く事にする。 「板橋見附」(京側枡形)からほぼ真っ直ぐに続いてきた宿場街がもう一方の「江戸側枡形」に突き当たる。(右・左写真=12:38)
  左に折れて、国道一号線[新宿]交差点を、もう一度右折。(右・右写真=12:40) こちらは、京側に比べて枡形が極めてはっきりしている。

  枡形出口から、300m余り行った南側に「山王原の一里塚跡(江戸口見附跡)」がある。(左・左写真=12:47)
  久野川という川に掛かる山王橋を渡ると右手に回転寿司等が有り、関西人としては名前に釣られて「王将」へ(12:57/19469歩/13:10)
  しばらく国道を進むと、[常剱寺入口]という信号を右手へ分岐する。(左・右写真=13:29)

  三叉路に見える(実際は十字路)交差点へ来る。先に松並木が見え、直進したくなるのだが、ここは左折して国道一号線の方へ戻る。(右・左写真=13:32)
  [ビジネス高校前]と言う交差点に来ると、ガソリンスタンドの向こう側に何本かの松並木が残っている。(右・右写真=13:34) 交差点向こうの少し先を右手へ向かっているのが旧東海道である。しかし今は渡しが無い為国道沿いへと右折する。

  渡しが有ったのであろうと思われる河原を見ながら、「酒匂さかわ橋」を渡る。(左・左写真=13:38)
  箱根登山バスの[一里塚]と言うバス停を過ぎるとすぐ(ケンタッキーフライドチキンの2,3軒手前)に「小八幡の一里塚跡」が有る。(左・右写真=14:33) 住宅が建っており立て看板のみがブロック塀沿いに建てられている。

  この辺りの国道沿いには非常に立派な巨木の松並木が所々に残されている。(右・左写真=14:35) [国府津駅前]を過ぎ、しばらく歩くと少し上り勾配になる。この坂を「車坂」と言う。
  押切橋を渡る辺りでは、少し登り坂が厳しくなる。この坂を「押切坂」と言い、さらに急勾配となって国道一号線から右手へ離れて行く。(右・右写真=15:39)

  坂を登り切るとすぐ、右側に「間の宿 藤沢の立場 松屋本陣跡」がある。(左・左写真=15:42) この本陣、和田家には利用者名簿である、重要文化財「御休帳」が保存されているとの事。 小田原宿、大磯宿間が16キロメートルと長かった為に多くの茶屋や商店で賑わったそうである。
  再び国道一号線に合流する地点の内側に、「押切坂の一里塚跡」がある。(左・右写真=15:48)

  国道をしばらく歩く。[山西]信号を左側に渡り、そこから分岐する旧東海道に入る。(右・左写真=15:58)
  右に急カーブした後、緩やかに左へ曲がりながら国道に合流する。(右・右写真=16:05)

  地図で見ていると、二宮駅に最も近いと思しき[心泉学園入口]なる信号を本日の終点とした。(左写真=16:15/33599歩)
  後で気が付いたのだが、もう一つ先の信号が[二宮駅入口]という大きな交差点であった。

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