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浦和宿~日本橋

2008年11月24日(36051歩/6時間35分)



  最終日の今日は、昼頃から雨の予報。早々にスタート地点に立つ(左・左写真=6:19)。 中山道は真っ直ぐだが、ここから県道64号線と呼び名が変わる。
  しばらく歩くと、東北本線をまたぐ(左・右写真=6:27)。

  国道463号線の高架下をくぐり、まっすぐに浦和宿に向かう(右・左写真=6:29)。
  「仲町信号」浦和センチュリーシティ前に「中山道浦和宿」の石碑が建っている(右・右写真=6:41)。(1845歩)
  仲町から浦和駅前まで463号線、その先は213号線と県道名がめまぐるしく変わる。

  [武蔵浦和駅→]の標識がある交差点で213号線も終わり、信号を直進して一般道に入る(左・左写真=6:58)。
  道なりに進んでいくと、信号のある変則的な五叉路で右前方へ斜めに折れる(左・右写真=7:07)。

  すぐに、国道17号線との交差点「六辻信号」に出るので、これを渡る(右・左写真=7:10)。
  また、数10メートルで信号が有るので、これを左折する(右・右写真=7:10)。

  少しうねりながら進んでいくと、自動車道の高架が見えてくる。「東京外環自動車道」である(左・左写真=7:16)。
  途中、直進「蕨市街」の標識(左・右写真=7:24)、この先の「錦町五丁目信号」で県道79号線となる。

  「お酒のデポ」というお店のところで車道が大きく左へカーブし、 直進方向に何となく中山道では?と思うような細道が有るが、車道に沿って進む(右・左写真=7:33)。
  再び17号線の交差点「錦町三丁目信号」に出るので、これを渡る。ここから蕨宿のよく整備された宿場街である(右・右写真=7:41)。

  歩道には、広重の六拾九次陶板が埋められていて、懐かしい。 足下を見とれている間に「蕨宿本陣跡」である「歴史民俗資料館」を通り越してしまい、 「同、分館」まで来てしまった(左・左写真=7:55)。(7447歩)
  ここを過ぎると、すぐに国道17号に合流する(左・右写真=8:00)。

  「本町信号」(右・左写真=8:10)。この写真が後で私の想像力をかき立てることになる。
  「河岸三丁目信号」を過ぎると、17号線は緩やかに右に折れながら荒川堤防へ上っていく。 平坦な左側道を進んでいくと、荒川の手前に菖蒲川があり歩道橋が架かっている(右・右写真=8:27)。 ここを渡った所を左に曲がり100m余りの所の三叉路を右に入る。

  荒川の堤防で出会った人に確かめた旧中山道(左・左写真=8:37)。=上記三叉路から堤防まで=
  そしてこの道が堤防に突き当たったところ(白い家の前)に「中山道戸田渡船場跡の碑」がある。
  前述の想像とは、ちょうど「本町」の写真を撮った位置から、斜めに入り、17号より5、60m東寄りに平行して走る道が有る。

川岸の辺りで途切れているが、そこから堤防までは新興開発されている。地図へ大胆に線を引いてみるとうまく符合する。というものである。

  舟が行き来したであろう水面を眺めつつ、17号線に戻り「戸田橋」を渡る(右・右写真=8:45)。いよいよここから東京に入る。
  荒川堤防の階段を下り、側道を進む。

  「舟渡信号」を過ぎるともう一つの川「新河岸川」を渡る(左・左写真=9:06)。
  少し左カーブした国道は、まもなく「志村坂下信号」にさしかかる。この交差点から100m程の所に旧中山道への分かれ道がある(左・右写真=9:17)。

  旧街道は、右に湾曲して進み、環八通りと国道17号線の交差点横に出る(右・左写真=9:24)。
  二ツの大きな道路で、街道は100m以上に渡ってカットされているが、歩道橋を渡り17号線の右側を少し進むと、 自動車屋さん(ウエツハラモータース)の向こう側から右手へ下って行く中山道が見つかる(右・右写真=9:28)。

  しばらく坂を下り、少し上った所に丁字路があり、左折したところに「清水坂の石碑」がある(左・左写真=9:31)。
  蛇行しながら上り詰めると、また17号線と合流する(左・右写真=9:35)。

  しばらく17号線の歩道を行くと、信号の名前にもなっている「志村一里塚」がある。 国道を挟んで両側に有り、いかにも現代の一里塚たる存在である(右・左写真=9:39)。
  この辺りから先は国道の左側道を行く。首都高速の高架が右から近づいてきて17号線に重なったところに、 左へ逸れていく旧中山道がある(右・右写真=9:54)。

  ずっと国道が多く続いた後、久しぶりの中山道らしい街道である。 環七通りの頭を擦りそうな高架をくぐり(左・左写真=10:02)、板橋の中心へ向かう。
  「史跡 縁切榎」を過ぎ、「石神井川」を渡る(左・右写真=10:11)といよいよ中宿である。

  「板橋宿本陣跡」はちょっと分かりづらかった(右・左写真=10:15)。 「ライフ」というスーパーの向こう隣、一般住宅の塀の陰にまるで門柱の様に石碑が建っていた。
  「旧中山道中宿信号」を通過してしばらくすると国道17号(高架上首都高)を斜めに横切る(右・右写真=10:32)。 旧道延長線上に真っ直ぐ続く中山道が見える。

  この辺りはずっと市街地の一本道である。しばらく行くと、埼京線板橋駅付近の踏切を渡る(左・左写真=10:42)。
  さらに進んで行くと、今度は都電荒川線の庚申塚駅横の踏切である(左・右写真=10:56)。

  この先は「巣鴨地蔵通商店街」である。聞きしに勝るご年配者天国(かく言う私も含む?)である(右・左写真=11:01)。
  やっとの思いで人混みを通り抜けると「とげぬき地蔵入口信号」で国道17号線に合流する(右・右写真=11:11)。

  適当な信号で国道の左側へ移行する。いくつか信号を過ぎると、「千石駅前信号」から白山通りが右へ逸れていく(左・左写真=11:26)。 ここはそのまま左側歩道を直進する。17号線も細くなるが直進する。
  しばらくすると旧白山通りも右へ折れるが中山道(17号線)は直進である(左・右写真=11:34)。

  そのまま進んで行くと、急に街道が左に折れ丁字路に突き当たる。標識には「本郷通り」とある(右・左写真=11:46)。
  目の前は東大の大きな敷地である。右折して正門の前を通り、有名な「赤門」を過ぎる(右・右写真=11:55)。

  少し左カーブして緩やかに下っていくと「神田明神」がある(左・左写真=12:19)。
  さらに下っていくと大きな三叉路になる(左・右写真=12:21)。ここは、17号線に従って左へとる。

  すぐに、次の信号「神田明神下」の十字路を右折する(右・右写真=12:22)。
  何かほっとする気になったのは、かつて来慣れた電気街「秋葉原」の景色が見えたときである。
  「昌平橋信号」で総武本線のガードをくぐり、信号を渡って斜め左に折れる(右・右写真=12:24)。

  つぎの大きな交差点「万世橋」を右折する(左・左写真=12:27)。秋葉原の中央通り、さすがに人が多い。
  すぐ、「萬世橋」を渡る(左・左写真=12:28)。

  次の信号で少し左に折れた中山道は、中央本線・山手線・常磐線の長いガード下を通りまっすぐに日本橋へ(右・左写真=12:37)。
  長い旅の終着点「日本橋」は、首都高速を屋根にして意外にひっそりと迎えてくれた(右・右写真=12:51)。

  2006年9月17日に途中から始まった「中山道つぎはぎウォーク」も、2年2ヶ月をかけて全線完歩?!。 歩くスピードで見た景色は、確かに心に焼き付いた。掲載した写真は道案内用のものばかりだが、360度是非、自分の目で見て戴けたらと思う。

  東京駅を出た「ひかり」が品川を過ぎる頃、車窓を雨が濡らし始めた。

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