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赤坂宿(東赤坂)~加納宿

2007年3月25日(28500歩/6時間25分)



  出発地点の近鉄養老線、東赤坂駅付近を振り返る。(左・左写真)
ここから先は、右に左に七曲がりする。左・右写真奥の突き当たりで最初の右折

  上の「最初の右折」をすると、すぐ右・左写真の倉庫が目にはいる。ここは広い車道に沿って左折する。
  前方に、広い駐車場と信号が見えてくる。その信号をまた右折するのだが、   中山道は交差する道路のすぐ手前にある細い道の方である。(下・左写真)

  駐車場と建物ひとつ過ぎると、すぐに左折である。 平行していた車道を横切り、向こう側に見える運送会社のフェンスに沿って奥へ続くのが中山道である。 この辺からやっと、中山道らしい道の様子になる。

  しばらくすると、またゆったりと右に折れる。右・左写真の右端辺りでもう一度左に折れるが、 そこには「七曲り」と書かれた(達筆なので読めない)石柱がたっていた。
(右・左写真クリック→拡大)
  後は、平野井川の堤防(下・左写真)にぶつかるまでまっすぐな道である。

  左・左写真のように堤防にあたったところで右折すると、 左・右写真のような景色となる(ここにも達筆の石柱あり。「三曲り」?)。
しばし、堤防下の車道脇を進む。

  大きな道路の高架下(右・左写真)を抜けて歩道を進むと、 車道は堤防の上へ上がってしまうが測道は少し下って別の道に出る。(右・右写真)
=大島堤サイクリングロード=

  この道沿いに、堤防の下を進むと丁字路に行き当たるが、この丁字路を左折したところが左・右写真の景色である。
右側の緩やかな方の坂道をいくと堤防に上がる。堤防は右に折れていて、すぐに下・左写真の分岐点に来る。

  右・左写真のセンター、電柱の隣に小さく見えるのが写真中写真の道標である。 「右 すのまた」「左 木曽路」と読める。ここは案内のとおり左へ、堤防を下る。
  道は、大きく左へ折れて橋を渡る。(右・右写真)

  「揖斐川呂久渡船場跡」と書かれた石碑が建つ庭園がある。 「小簾紅園(おずこうえん)」と言い、皇女和宮が一枝のもみじを舷に立てさせ、 玉簾(すだれ)の中からあかずにご覧になったことに由来する。
  おちてゆく 身と知りながら
    もみじ葉の 人なつかしく
           こがれこそすれ


  少し行くと、街道は左に折れ(上・右写真)、現在の揖斐川(呂久の渡しは旧揖斐川)の堤防に出る。 右・左写真の左側、細い道を行くと、黄色い歩道橋がある。 これを上がって高架上の車道に出、測道を通って揖斐川を渡る。(右・右写真)

  渡りきってすぐに右手側道に下りていく脇道がある(左・左写真)。下りきったところを堤防へ戻るように折り返すと、 車道が通るトンネルになっている(左・右写真)。このトンネルをくぐり堤防を左にしてしばらく進むと、 下・左写真のように直進は道幅が狭くなり、右折できる丁字路に来る。

  ここを右折すると、街道はたんぼ道となりいくつか車道を斜めに横切りながら真っ直ぐ進む。

  学校のような建物(巣南中学校)が見えてくると、新しい車道にぶつかる(左・左写真)。
  ここで道路の向こう側をよく見ると「旧中山道」とかかれた石柱が2本たっているのが分かる(左・右写真)。 街道はまっすぐその敷地を突っ切っていたのだろう。向こう側出口には、宿場町を並べたミニ中山道が作られている。

  学校の横を少し行くと、右・左写真のような赤い橋がある。 たぶん昔の街道はまっすぐだったと思われるが、ここは先に見える三叉路を右折。 鋭角の枡形のように、もう一度左に折れて、写真の倉庫のような建物の手前を左奥の方向へ進む。 しばらくすると集落に入ってくるが、立派な家が多い。近所の石垣が統一されている。 右・右写真の分岐点は右折する。

  小さな橋を渡り(犀川)、しばらくすると丁字路にぶつかる(左・左写真)。 ここを左に折れると「美江寺」の中心である。
  ほんの少し行くと、「美江寺宿本陣跡」とかかれた石碑がある。
(10121歩/11時15分)

  さらに、まっすぐ行くと鳥居の前で(美江神社)丁字路に当たる(右・左写真)。 右へ折れてしばらくすると美江寺駅近くの踏切をわたる。 さらにまっすぐ行くと「五六川」と書かれた川がある。56番目の宿という意味だそうだ(右・右写真)。
  ちょうどお腹が空いた辺りにうなぎの店「清水屋」さんがあった。(12052歩/11時45分-12時20分)

  河渡(ごうど)に向かって出発。すぐに糸貫川という小さな川を渡る。 次に左・左写真のように大きく右にカーブしている変則的な交差点に来るが、道なりにすすむ。 しばらく住宅地をとおりまっすぐに行くと、左・右写真のようにセンターラインが左へ折れており、 直進が旧街道らしく見える分岐点に来るが、センターラインに沿って左カーブするのが中山道である。

  すぐに、国道級の広い道路と交差する(右・左写真)が、街道はまっすぐである。 しばらくまっすぐ進んで、長良川の支流に架かる橋を渡ると河渡宿である(右・右写真=橋のたもとにある)。
  河渡宿は、あっという間に過ぎてしまう。下・左写真のように長良川の堤防が見えてくると東の外れである。 この写真を撮っている辺りに民間の資料館があった。

  長良川の堤防下を北上する。左・右写真の奥にかすかに見える河渡橋を渡って鏡島(かがしま)に入るのだが、 昔は何カ所も渡しがり、本来の中山道の渡しは河渡橋付近、その下手と上手にもあったとのこと。 現存する上手の「小紅の渡し」へ向かうことにする。

  「小紅の渡し」は右・左写真センター、ゴルフの打ちっ放しの右側にある。 堤防を上り支流に架かる寺田橋を渡って右折、中洲の周囲を行くと渡しがある。
  昨日からの雨が上流で100mmほど降って、水位が2mも上昇しているとのことで休業であった。(右・右写真)
  対岸には「鏡島弘法」があり、関東方面を主に年間7~8千人の利用があるそうである。

  ここを渡って、弘法さんを経由して「弘法口」で中山道に入るルートもある。 (渡しは、県から依託されて市が運営する県道とのことで乗船は無料)
  我々は、河渡橋へ戻って、橋のたもとから弘法口へ至る本来の中山道を行くことにする。(仕方なく・・・)
  左・右写真は河渡橋を渡りきったところであるが、ここを左に折れて車道を渡ると下・左写真の景色となる。

  堤防を緩やかに下りていく白線にそって行くと、写真センターの山の下に見える、 右手奥へと延びる中山道に入る。(写真をクリック=拡大)
  弘法口までかなりあるが、そこを過ぎてしばらく行くと右・右写真のような分かれ道に来る。 ガードレールの向こう側に、円内に示した石碑がある。ここを右にとる。

  この後は、しばしまっすぐに街道は続く。現在の道路の方向とはちがい、ほぼ斜めに横切っていく。
  いくつか信号を越えた住宅街で、左・右写真のように大きく右にカーブする分岐がある。ここは右へ。

  少し先へすすむと、本荘小学校の前を通過、変則的な五叉路にさしかかる。 中山道はまっすぐ、ビルの左を奥へ延びる。先に見える高架がJRである(右・左写真)。
  高架をくぐった直ぐのところ(信号あり)を左折する(右・右写真)。

  高架下を沿うように進むと先にY字路が見えてくる(左・左写真)。ここを右に取り少しずつJRから遠ざかる。
  街道右側に、写真のような石柱がたっており、加納宿に入ったことを示している。

  いくつかの小さな交差点を通過して、岐阜駅前通に至る。本陣・加納城跡などはこの通りより先になるが、 本日はここまでとし岐阜駅から帰路につく。
(28500歩/15時35分)

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