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柏原宿~赤坂宿(東赤坂)
2007年2月4日(24564歩/6時間10分)
前回、柏原宿終着となった、喫茶「柏」さん(左・左写真)でモーニングをしていこうと早速向かう。
開いているか心配しながらドアを開けると、準備中にもかかわらず歓迎して戴いた。
ちょうど今日向かおうとする赤坂宿までの街道マップを戴いたのだが、これが実に分かり易く後々再三助けられた。
9時出発。左・右写真は町の外れ、踏切を渡ってJRの左を進む。
しばらく行くと、長久寺の集落がありその外れは滋賀県(近江の国)・岐阜県(美濃の国)の県境である。
細い川(溝?-右・左写真)を挟んで、旅籠に泊まった旅人が国を越えて寝ながら話をしたという伝説があり、
寝物語の里と言う・・・と、この里出身の古い友人(ウン十年前には泊めてもらってもいるのだが・・・)に先日聞いてきた。
踏切を渡って、国道21号の信号を渡ると今須宿の入口である。(上・右写真)
江戸時代のまま現存する「問屋場」山崎家
(左・左写真)
今須小中学校(左・右写真)。この付近に本陣・脇本陣があった。
(4026歩/9時55分)
宿の外れに来ると、国道へ出る交差点にさしかかる。(右・左写真)
写真奥、国道の歩道へ上がる階段を上がってそのまま信号を越える(国道に沿っていく)と、
すぐに一里塚跡が目に入る。(右・右写真)
その一里塚跡から数十メートルのところに、国道から左へ入っていく中山道が見える。(左・左写真)
この辺りは、JR東海道線のトンネルの上、今須峠を通る山中である。
下っていくと、右はトンネルに入る下り線、左は上り線とJRの線路に挟まれている。(左・右写真)
写真の左斜面の上を線路が走っている。だんだん挟まれて、行き止まりの踏切を右へ渡る。
集落に入ってくると、東海道新幹線のガードをくぐる。
しばらく行くと外れで、また国道21号線に出るが、歩道橋が有るので渡る。(右・左写真)
歩道橋から見渡すと、国道を右へ外れて行く中山道が確認できる。(右・右写真)
この辺では、旧街道が国道などから逸れていく入口には、必ず道標が完備されている。
ちょうど、上・右写真の森の間に入っていく辺りに、きっと見逃してしまうと思える分岐がある。(左・左写真)
まっすぐは車道として、近年少し掘り下げたのであろう。旧道は左、民家の方へ上がっていく。
このまままっすぐ行くと、少し先で左の旧道と交差してしまい、迷ってしまう。
(左・右写真) 交差して左へ行くのが車道、旧道はまっすぐ。
冬の枯れた色の中でひときわ目を引いたピンク。
不破関跡のすぐ傍を流れる関の藤川「藤古川(ふじこがわ)」。その畔に今にも咲きそうな桜?。暖冬異変・・・・・
しばらく行くと、右・右写真のような脇道があるが、左へ行くのが旧街道本道、右が車のための脇道・・・。
あまりに、まっすぐ過ぎてすぐわかる。どちらもこの先で国道21号に出る。
国道21号を少し行くと、365号線との交差点があり、
それを越えて数十メートルの所(左・左写真あたり)が本陣跡。(8982歩/11時15分)
ここは、三叉路になっており左折すると北国街道。
関ヶ原の町並みもまばらになる頃、左・右写真のように、中山道は少し左に逸れて国道と併走する。
松並木を新たに養生中である。
すぐに、突き当たりのようなところが見えてくる。(右・左写真)
ここは、右側にガードレールで挟まれた細い道を通って国道の歩道へ出る。
そのまま、国道に沿って信号を渡ると、歩道橋の左横に細い測道がある。(右・右写真)
Y字に分かれている左向こうに続くのが中山道である。
この先に続く松並木は、なかなか見物である。(左・左写真-六部地蔵)
並木道を歩いて少し行くと、去年(2006年)のNHK大河ドラマで活躍した山内一豊の陣旗が翻っており、
ここに陣を構えていたらしい。
さらに歩を進めると、
関ヶ原バイパスがJRと中山道の下を左から右へくぐって、
21号線に合流する信号の傍を通る。(左・右写真-不破の関病院の辺り)
上・右写真の車が止まっている辺りの様子が右・左写真である。
前方に見えるスロープまたは階段を上がって国道21号線の測道に出て、
次の信号で国道を横断する。(右・右写真-車が1台出ようとしているのが中山道)
少し国道より高台を進んでいくと、下り坂の先にまた国道が見えてくる。(下・左写真)
黄色い歩道橋を渡るのだが上から見ると、中山道は直進していたことがよくわかる。
この辺から北を上にした地図で、少しずつ山手の信濃を目指して右上がりする中山道と、
今の商圏に従って名古屋を目指して右下がりする何本もの現在の道路とが斜めに交差する様がよく分かる。
まっすぐに進んでいくと、垂井の町に入った辺りで車道が右にそれ、細い道が直進する場所がある。(右・左写真)
ここは、車道の方(右折れ)が中山道である。
すばらしいたたずまいの本龍寺の前を過ぎ、南宮の石鳥居のある交差点を過ぎてしばらく行くと、
枡形の角に江戸時代から続く旅籠「亀丸屋」が堂々としたたたずまいを見せている。(15496歩/12時50分)
食事は少し延ばして出発。 町の外れで左に大きく曲がって相川を渡る。(左・左写真)
信号を渡って右折したところが左・右写真。
小さな川を渡って横断歩道の向こう角に「ここは追分」と書かれた道標がある。(写真中写真)
右へ取ると「美濃路」。 ここは左折する。
道なりにしばらく行くと、コンビニが有ったので昼食にする。
ここからは、赤坂宿までまっすぐである。どんどん行くと国道クラスの道に行き会う。
例によって、中山道は斜めに突っ切ってまっすぐ先へ伸びている。(右・左写真-軽バンが出ようとしている)
さらに、どんどん行くとJR(下り専用)のガードをくぐり、少し先で町らしくなってくる。
赤坂宿と書かれた碑の建つ十字路に着く。
(21534歩/14時20分)
交差点の向かいの角は有形文化財の矢橋家。この辺りは矢橋と冠する企業名が多い。
予定では、この矢橋家の塀づたいに少し南へ行ったところのJR美濃赤坂駅から帰るつもりであった。
電車が1時間以上無い。少し足を延ばし東赤坂まで行くことにする。
石碑の所まで戻って出発。すぐに杭瀬川の信号が見えてくる。(右・左写真)
これを渡ったところから少し先にY字路があり、真ん中に道標が建っている。(右・右写真)
ここは、左へ進路を取る。(拡大写真-道標)
ほぼまっすぐだが、下・左写真のようなY字路がすぐに有るので左へ進み、
車道を横切るとまた旧道らしくなる。
さらに、住宅街を進むと目の前に車道が見えてくる。 この道が中山道となり少し行くと、
小さな川の向こうに近鉄揖斐線の東赤坂駅が見えてくる。
ここでも30分ほどは待たされたが(30分に1本が行ったところだった)、
本日はここまでとし帰路につく。(24564歩/15時10分)
無人駅なので整理券をとり大垣駅で精算。
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