西国三十三所 第13番 石光山 石山寺
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今日は気温20度の晴れ。最高の日和りに、少し藤の花の時期を過ぎたが、連休明けで人も少なかろうと三十三所巡りに出かけることにした。
前回から滋賀県内に入ったが、今日は石山寺と三井寺である。どちらも見るところが満載、1日で廻れるか近くと言えども侮れない。
先ず出迎えてくれるのは?
ここには、大きな松の木が残っている。
「
三鈷の松」と呼ばれ、江戸期の古い書物にもその姿が描かれている。(右写真)
ここは、駐車場から仁王門へ向かう通路、その当時の様子が覗える。
重要文化財である「
東大門」(実は「ひがしだいもん」だと思っていた:重要文化財)をくぐると、
秋には真っ赤に染まるであろう参道が真っ直ぐに伸び、左右に庭園や「
大黒天」が並ぶ。
手水を済ませて、
志納所で参拝料を納めて入る。
第一段目の本堂エリアへ
御影堂
(重要文化財)
毘沙門堂 観音堂
(重要文化財)
観音堂には西国三十三所すべての観音様が祀られている。
蓮如堂(重要文化財)
蓮如堂の横を抜けて、階段を上がると「
本堂」(国宝:平安時代)である。
御朱印はこの
外陣(
礼堂)で戴く。
御本尊は秘仏のため33年に一度又は天皇ご即位の翌年のみ公開されるが、内陣(
正堂)には多くの仏像が安置され、お参るすることができる。
今回は上手く特別公開の期間に滑り込んだ。「
あお若葉の共演」と称して、大本山石山寺と総本山三井寺主催とある。
三井寺も楽しみである。
天然記念物 珪灰石
紫式部が筆を執った「
源氏の間」から
金勝山(栗東市)は真東に位置する。
第二段目の紫式部供養塔エリア
さらに奥の石段を上がると「
三十八所権現社 本殿」(重要文化財)が有り、
石山寺を守護するための神社として1602年に創建されたらしい。
この踊り場を左に折れさらに石段を上がると、上げ床の「
経蔵」(重要文化財)が有る。
床下を除くと座布団が有り、「
安産の腰掛石」とある。連れ合い曰く、娘の時もお嫁ちゃんの時もここに座ったらしい。孫は元気に育っている。有り難や!!
経蔵の正面に回り込むと、「
紫式部供養塔」と「
松尾芭蕉の句碑」が並んで立っている。
三段目に上る階段を通り過ぎて、少し石段を降りると「
鐘楼」(重要文化財)が有る。先の「御影堂」横から上がってくるとここに来る。
この辺りから「
珪灰石」を上から見ると壮観である。
第三段目の多宝塔エリア
月見亭
chromeで検索 (Gemini) してみた。
多宝塔は、仏教建築の一種であり、一般的に方形の初層の上に円形の層を重ねた二重塔を指します。
この形式は、法華経に登場する多宝如来を祀る塔として登場する故事に由来しています。
左に見えるアンテナのようなものは避雷針だろう。この高さでは
相輪に落雷しても不思議ではない。
最上段豊浄殿エリア
多宝塔からさらに上って行くと途中に朱塗りの「
心経堂」が有る。
新しいもので1990年の建立と有る。「
如意輪観世音菩薩」が祀られている。
「
光源氏と運命の星」と
銘打って石山寺と紫式部展が開催されていた。
紫式部の肖像画や源氏物語に関する数々の絵画・工芸品や経典などが展示されていた。(
豊浄殿)
西側下りルート
少し西側の山麓に向かって下っていくと、立派な
藤棚が有る。
これが目的でもあったのだが、連休の混雑を避けたため少し出遅れた。しかし下の方に有った藤はもう花が枯れていたが、山の中腹であるこの藤棚は待っていてくれたようだ。
さらに、梅林に沿って平坦な道を進んで行くと、鎌倉時代の建築技法である
懸崖造りを復興させたと当寺ホームページに有る、
素晴らしい木組みの脚を持つ
光堂が有る。(2008年 東レ(株)寄進)
石の階段を降りて行くと、途中に「
紫式部の銅像」が有り、この辺り一帯を「
源氏苑」と言うようだ。
さらに下っていくと水の流れ落ちる音に誘われ、通路から外れて園内に入ると、小さな滝が有り池の中を飛び石で渡るようになっている。
(
無憂園)
「
天智天皇の石切り場」
660年代、ここは採石場で、天智天皇によって建立された奈良の
川原寺中金堂の礎石となっていた事が判明したと案内に有る。
ここまでで、1時を廻ってしまった。
門前の「湖舟」で注文を受けてから焼き上げると言う鰻を丼で戴いて、
さらに見所満載の三井寺へと向かう。時間は足るか?
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