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JR山陽本線 岡山駅~板倉宿~JR伯備線 清音駅
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20.5km 39944歩/ 7時間45分
朝8時快晴の岡山駅に到着。「晴れの国岡山へようこそ」と書かれたポスターが貼ってある。晴れ男のお陰ではなく備前の国のお陰でしたか。
西の方から寒気が迫り、日本海側では大雪、九州でも積もるという微妙な予報の狭間、有り難たや。
前回辿った道を見通せる所まで駅沿いに北上する。(08:08 Start)
西国街道の延長上に地下道に入る階段が有る。前回の終了地点はこの地下道の自転車専用入口であった。
歩道とは完全に分かれていてここまで道路沿いに来てみて正解であった。
西側に出ると少し駅に戻る方向に白い板壁が見える。(地図では衣料品店になっているのだが・・ 08:18)
角を曲がってみると喫茶店のようでもある?前回宿泊した西口広場とは別の東横インの前を通って西国街道を進む。(東横インは東側を含め駅の周りに三ヶ所有る)
朝なのでまだシャッターが閉まってガランとした商店街を抜ける。
[
奉還町西口]という交差点に出る。丁度直進となる方向に旧街道が続いている。
交差点を斜めに突っ切っているので大きく歩道へと迂回する。(08:37)
しばらく直進するとY字路の付け根を横から一本道路が横切っているような、変形五叉路に来る。Y字路を右斜めに取るように進む。(08:49)
少し先で国道180号線と合流する。そのまま右側の歩道を進むも、通勤時間と有って1m強しかない歩道を自転車が集団で下ってくる。
歩道を走っても良いのは1m50cm以上の歩道、それも歩行者優先。しかしこちらが車道に追い出されてしまった。怒っても日本語が通じそうにない。
ぶつぶつ言ってる間に左への分かれ道(西国街道)が見える横断歩道まで来た。(08:58)
小さなコンクリート橋の親柱が時代を思わせるようにレトロだったが、旧山陽道のものと言うほどには古くはなさそうであった。(09:09)
「
矢坂茶屋」。
万成峠の麓に位置する当地は、多数往来する旅人の休憩地として商家も建ち並んでいたと案内に有る。(09:18)
矢坂茶屋案内の筋向かいに現代の茶屋が建っていてその敷地内に「
芭蕉句碑」が有った。
笑塚 八九間空て雨降る柳かな
はせをかゐわいを配合せて初時雨 十瓢庵玖宇
「岡山の芭蕉句碑」を参照させて戴きました。
矢坂と言う
間の宿と思われる。「
西国街道 矢坂本陣跡」(06:26)
「
篠ヶ瀬川」に架かる矢坂大橋を渡り、国道180号線に沿って西へ進む。
この先、国道180号線に沿って総社市に向かう。倉敷市の山手をかすめるように進み、海辺を通ることはない。(09:34)
先ほど渡った篠ヶ瀬川の支流である「
砂川」に架かる「小松橋」を渡ると「
大覚大僧正道」
の石碑が建っている。大覚とは備前法華の祖と仰がれている様である。
岡山県総合文化センターニュースに詳しい。(10:22)
「是より東、備前の国」と書かれた「
備前備中国境標石」が有る。
国道180号線は、南西に向けて幾分南下して来たが、丁度この標石の所から大きく右にカーブして、南下する。
西国街道はカーブせず直進するが、標石の前に
横断歩道が無いので注意を要する。(10:44)
旧道に入ってすぐに「
西国街道 真金の一里塚跡」が有る。
この一里塚は街道両側に現存している。元々は松と榎であったらしいが、大きさから見て近代に植え替えられたものと思われる。(10:48)
岡山と総社を結ぶ JR
吉備線の踏切を渡る。この地方線は愛称を「
桃太郎線」と言い親しまれている。(10:58)
JR
吉備津駅方面から来た道と合流してしばらく行くと川沿いに常夜灯があり「
板倉宿」に入る。
(11:03)
国道180号線との交差点[板倉]の少し手前に「
西国街道 板倉宿本陣跡」が有る。現在は岡山市
鯉山コミュニティハウスになっている。
(11:12/20951歩)
宿場の集落を抜けるとしばらくして、県道270号線(清音真金線)という右手を並行して走る車道沿いに、
「
豚太郎」と言う餃子・ラーメンの店が見えたので急にお腹が鳴り昼食とした。(11:45~12:15/23707歩)
お腹も膨れて体も温まり快調に歩き出す。真っ直ぐな道をしばらく行くと川の堤防に出た。
足守川渡し跡だが、左手に見える橋に迂回する。(12:28)
矢部橋と親柱に表記されている。
そう言えば板倉宿の案内に「宮内(吉備津神社の門前町)に有った本陣が板倉に移された時から、宿場としての勤めを宮内、板倉、矢部の三村で担う事になった」
と言う様なことが書いてあった。踏切を渡った辺りからこの橋の近辺まで長い宿場町で有ったと言うことか。
先ほど、堤防に出た辺りの対岸まで戻ると、矢部の集落への入口がある。ここからは
倉敷市となる。
集落に入ってすぐに十字路が有る。西国街道を横切る道は「
旧金毘羅往来」。
立派な道標が建てられている。(12:41)
北東側
川辺 やかげ そう志や
道
南東側
金比羅 くらしき 庄 早島
北西側
吉備津 岡山 矢坂
山手を辿ると間もなく現代の山陽道、山陽自動車道をくぐる。
すぐに目前に車道が見えて合流する。先ほど迂回して渡った橋から続く県道73号線である。
この車道も間近の交差点で県道270号線に吸収され、直進する西国街道は旧街道らしい風情となる。
この辺りは又しばらく
岡山市である。(12:54)
山裾を回り込むと小さな集落が有り、目立つのは古墳、古墳また古墳。写真は街道沿いに位置する5号・6号古墳である。(13:26)
先ほどの270号線に合流すると大きなカーブの頂点となる真北に道標が有る。
左 いなりみ(ち) 「ち」は埋もれている。
北上する道は旧稲荷道である。歩道は無いが稲荷道を横断して西進する。緩やかな坂を下る途中で
総社市に入る。(13:36)
山裾を出て広々としたところで右手へ逸れる西国街道が有る。(13:41)
再び、270号線に出るとかなり先に左に分かれていく旧街道が確認できる。ほぼ同じ方向で交差しているのが分かる。(13:50)
集落に入り右手を見ると五重塔が見える。立派な寺だなと思いながら歩いていると参道入口らしい所に石碑が有った。(14:03)
「
守安馬太之碑」と有る。人名なのか別の意味があるのか検索では全く引っかかってこない。読み方を引いても出てこない。(14:09)
「
西国街道 西郡の一里塚跡」。昔は「一里松」と呼ばれて親しまれた松も昭和30年頃枯れたと有る。(14:50)
「
山田池の碑」。地図上にも名所旧跡のマーク入りで記載されているが、検索には余り内容について掲載されていない。(15:05)
この先で県道270号線と合流しばらく左側道を歩くが歩道が区切られているわけでもなく危険。
やっと広い歩道になっているところに着いた。よく見ればこの部分も昔は西国街道であったことが分かる。
この先で県道を離れて集落へ入る。(15:11)
集落を出ると、斜めに元来た270号線に近づき合流する。右手の方には今日宿泊する総社駅周辺の町並みが見える。
見通しの良い真っ直ぐな道をしばらく行くと踏切を渡る。左が今日の終点「清音駅」、右手が「総社駅」である。
さらに進むと、
高梁川の堤防にぶつかる。堤防の上は国道486号線になっており左折れして坂を上がり合流する。
国道と言うこともあって、大型トラックも多くこの側道は少し怖かった。車が後ろから来るのを耳を澄ませ立ち止まって待った。
「
川辺橋」が見えてきたら少し手前で坂を下り、高架下で翌日に引き継ぎとした。(15:55/39944歩)
高架に沿って清音駅にはすぐ。無人駅なので icoca で改札通って出ても又駅舎に戻っていすに座ったり又出たり自由度が高い。
16時15分に電車が有ると高校生に教えてもらって、4分ほどで予定通り総社駅に着いた。
早速、目の前のホテル池田屋さんにチェックインして、5時には開店する、ホテルの案内地図に載っていた居酒屋へ出かけた。
「
我が家」と言う店に飛び込んだが、なかなかナイスセレクトだった。
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