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香登駅~藤井宿~岡山宿~JR山陽本線岡山駅
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24.1km 45204歩/ 9時間10分
6時半からの、いつもの美味しい朝食をしっかり頂いて7時21分発赤穂線に乗るべく早速岡山駅へ。
これを逃すと1時間遅くなってしまう。超満員の通勤電車がほぼ空になり座れた。
40分、夕べより速く感じつつ日の差すホームに降り立つ。早速、昨日ゴールした三叉路へと向かう。
昨日の足の違和感は全くない。
集落を出て開けたところに大きな灯籠が有る。
奉燈
金比羅大權現
瑜伽大權現
と記されている。備前瑜伽山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、阿弥陀如来・薬師如来を本地仏とするとWikiに有る。
川、と言うより用水路を渡ると街道は南下する。
山陽新幹線の高架下にフェンスが有り、真っ直ぐには通り抜けられない。少し右手に迂回する。
すぐに国道2号線に合流する。
このあたりは
長船と言う地で、
備前長船と言う刀剣発祥の地だそうだ。
合流地点には「刀剣の里」の大きな看板が有る。
その刀剣発祥の地碑が街道沿いに有るとMapに記されていたのでルートを国道左側(東側)に取ろうとするものの、このあたりは信号にさえ横断歩道が無い。
無理して渡ったのだが・・・。
この先で旧街道は2号線と離れて堤防沿いを行くので、又右側に戻らねばならず、この石碑はパスするのが賢明と思った。
2号線と分かれて少し行くと堤防を河原へ降りる地道が有る。街道沿いに有ると記されている道標が見つからないのでちょっと下ってみると・・有った。
常夜灯と有るので多分この辺りが渡しであったのではないかと想像する。
渡しが有ったかも知れない
吉井川。
Map参照
「
明治天皇巡幸記念の碑」が少し先に
建立されている。
東海道でもそうだったが巡幸記念碑は各地で見られる。失礼だがドラマの水戸黄門様のようだと思ってしまった。
又難儀な交差点。街道右を歩いて来るのが安全だったのが、ここに至って歩行者専用の橋は国道の向こう側、この右側道の延長上には横断歩道が無い。
街道左には国道横断歩道が有るが、左への歩道が無い。信号なんだから何とかしてよと思いながら又駆け渡る。
歩道橋はと言えば、車一台通れるほどの広さ。(これは皮肉)
ずっと2号線を道なりに辿るとランプウェイのようになっている三叉路に来る。
今日現在のグーグルマップでは工事中となっているが「
備前大橋」西詰めの信号は急カーブに有るせいか取り払われ少し先に、この三叉路を移設したようだ。
左側の歩道は柵が設けられこの先歩道無しになっている。そのためかここには横断歩道が有った。
次の交差点で2号線を離れるのだが、本来国道の左側を来ると見つけられたはずの「
旧山陽道 一日市の一里塚跡」
を見過ごしてしまった。(そしてここにも横断歩道は全くない。)
ランプウェイの外を回ってきたが、目的の西国街道は斜め向こうの電柱方向。超危ない!!
やっと落ち着いたところで「
一日市の常夜灯」。
道なりに任せてのんびり歩いて行くと国道2号線から分岐してきた国道250号線の歩道橋に来る。
ここは階段ではなく、スロープの歩道橋である。長い距離を歩くときはこのようなスロープの方が歩幅を限定されなくて疲れ難いと思う。(自転車用だけど・・。)
ひと集落抜け、小さな川三つ目に
楢原の道標が有る。
こちら側 大正六年 春
街道側 ←指 岡山廣島 指→ 神戸大坂 道
向こう側 ←指 せとゑき
美作津山 道
少し行くと完全に住宅街から出る。砂川と言う少し大きな川を渡り、小山を迂回するように左手に取る。
学校(岡山市立上道中学校)の有るY字路に差し掛かる。右手へ学校に沿って進む。
先ほど交差した250号線が近づいて来る。その国道へは出ずに接するようにして、また離れて行く。
その最も近づいた辺りに「
旧山陽道 赤坂の一里塚跡」と地図上に表記が有るのだが、碑のようなものは全く無かった。
離れていた国道へ合流するところに信号が有るので向こう側(国道右側道)へ渡ってしばらく進むと右手へ逸れる分岐点が有る。
弥次さんの「腹が空いたね」の声に国道から離れない内にと探すとちょうど「横田珈琲」と言うレトロ喫茶が有り落ち着いた昼食となった。
再びコースへ戻り溜池沿いの踏切を渡って左折する。
山陽新幹線と山陽本線が寄り添う辺りで高架をくぐり、さらに100mほどの所を右へ逸れる。
こう言うY字路は間違いやすいので注意が必要だ。(右へ)
前もってガイド線を引いているのでGPSのお陰で迷うことは無いのだが、2006年から2008年に掛けて中山道を歩いたときは未だスマホは無く、
ましてやGPSでルート案内など全く無く、よく戻らされた。
こちらも同様、ここは直進。
右手の山が離れる辺り、「
総社八幡宮 鳥居」の有る参道との交差点に「
西国街道 藤井宿東本陣跡」が有る。
それらしい案内は何も掲げられていない普通の住居なのでそっと写真を撮らせて頂いて通過した。
同様にこちらは少し先の丁字路手前に有る「
西国街道 藤井宿西本陣跡」である。
丁字路を左折するのが西国街道であるが、右へ取る道の案内に「
新往来」と有る。
これは、幕末江戸と長州間の往来が激しくなり、警戒した備前藩が岡山城下を通行させないため北に迂回させた事による新ルートのようだ。
山裾をぐるっと廻った所にY字路が有る。右手もかなり街道らしい雰囲気のする道であるが、ここから南西方向(左手)に向け、どんどん岡山中心に向かう。
次の山裾を進むと、山陽新幹線の高架をくぐるが、ここで微妙な判断に迫られる。
ほんの100mに満たない区間で有るが、車道に沿って少し盛り上がった細い道が右手に有る。
歩いて見て分かるのだが、明らかに車道は新幹線に対して角度を付けるために後付けされたものであり、旧街道は右手である。
赤穂線が山陽本線に合流する長い踏切を渡る。ここからは一直線の道が続く。
一度斜め右手(真西)に方向を変えて、少し先に堤防が見える交差点に来る。結論から言うと
ここでミスコースをしてしまった。
正しくは
この交差点を左折であった。
直進したため堤防近くまで来てしまったが、一度左折することは分かっていたので、この地道を左折して納得していた。
又々、ちょうど階段が見えたので、目の前が草むらであるにも関わらず信じ切って登った。
結果、「百間川の渡し」と想像していた位置が少し北に移動した。
堤防を少し北上し
原尾島橋を渡る。
百間川
岡山城築城(安土桃山)で付け替えられた旭川が細くなったため、その後氾濫を繰り返した。
そこで熊沢蕃山の考案で、分流放水するための百間川(百間=180m幅だった)が17年の歳月を経て1686年に完成したとWikiに有る。
渡しではなく橋が架かっていたのだろうか!?
上写真の階段、右の脇道も
ミスコースである。
この三叉路を右折したのだが、
本当は左手から一直線であった。
もし、渡しであったのなら幅広く渡ったであろうし堤防を降りた所も踏み分け道のように無数有ったと想像できるので、
あながち間違いとは言えないのだが・・・。
参照:Google Map
4車線の大通りを渡ると、二,三十メートル先の右側に「
惣門跡」の道標が有る。
珍しい名前の川が有った。「
御成川」である。
旭川の支流であるが、確かに地図で見るとこの辺りの旭川は岡山城を避けるように蛇行し、堀と間違うほどに細い。
橋の袂に古い道標が立っている。「
いさをはし」(
勲橋)と刻まれている。
「をかし吉備団子」の看板の有る和菓子屋(廣榮堂 中納言本店)の角を右へ取る。
弥次さんにつられて、十三夜と言うことで「月見団子」を買って帰ることにした。
旭川に架かる最初の橋「
小橋」を渡って
東中島町へ入る。
トラムのある町に出てきそうな風情だ。
さらに「
中橋」を渡って
西中島町へと歩を進める。
この辺りは往時には繁華街で遊郭も有り賑わっていたようだ。この辺りも含めて「岡山宿」としている見解もあるようだ。
三つの橋で最も長い「
京橋」を渡る。
突き当たりのように見えていた交差点。トラムは右へ折れていくが前方に見える「
西大路町商店街」のアーケードに入る。
ふた筋目の交差点、天井には「
サーカスドーム」と呼ばれる、大きな明かり取り用のドームが有る。絵が可愛い!! ここを右折する。
後日調べ
表町に「
西国街道岡山宿本陣」が有ったと言う記述が散見されるがどれも確定的ではない。(ChatGPTも表町及び中央町と答えた)
しかし、宿場の両端に枡形が有ることは常でこの町内の南北のクランクの間を通す直線部分が岡山宿と考えて良いのではないかと思う。
このように考えると、最初の京側の橋が「京橋」であることも頷けるのである。
北の出口(枡形)を左折する。
しばらく行くと大きな通りに出る。「
柳川筋」と言い、国道53号であり、180号でもある。
[富田町]交差点以南は「
二十日堀」と呼ばれている
岡山城の外堀である。
と言うことは岡山宿本陣が想像の地に有ったとすると、大名行列を城内に宿泊させた事になる。
通常は有り得ないと思えるので、一般向け宿場は有ったがやはり
本陣は無かったのだろうか。
[柳川]交差点の横断歩道を西進し、さらに北進して対角点へ。
一筋西側の細い通りに入る。<一際旧街道と言う雰囲気である。
400m近く北上し、少し広い通り(東へ行くと後楽園)に出たところで左折する。
JR山陽線に突き当たる。ここを本来ならば西国街道は突き抜けて直進していたのだが、もう暗くなり始めて歩道橋や地下道などが分からず終いだった。
そこで一信号南下したところの横断歩道を渡って山陽新幹線の高架下へ入ると、自転車地下駐車場の出入口だった。ちょうど出てきた高校生に聞いたところ通り抜け出来るそうだ。
旧万町と何か意味有りげな石碑も有ったので、ここを本日のゴールとした。何より疲れ切った。(でも、足は一度も痙らなかった)
記念に黄昏れ桃太郎の写真を撮って帰路についた。
さすがに今から4時間近い(それでも新快速ばかりなので速いのだが)旅は十三夜も台無しと京都まで新幹線に乗ることにした。
車中では佐賀の帰りという浜松の方(八十五歳)とおしゃべり出来たのであっという間だった。
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