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三石みついし宿~片上かたかみ宿~JR赤穂あこう香登かがと

10月
14
2024
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17.9km 30016歩/ 6時間40分


  久しぶりの街道歩きでわくわくする一方で、足が持つだろうかと心配が先に立つ。 我が家から三石まで ICOCA で乗ると200kmを超えているので精算しないと出られない。無人駅で面倒なので今日は切符を買った。

  駅の階段を降り小川の向こうの、直角に折れて延びる西国街道を見る。
  ちょうどその直角カーブの内側に西国街道 三石一里塚跡が有る。

  この角を曲がった後の直線部分が三石宿のようだ。400mほど行ったところに「三石宿本陣跡」が有る。 現在は立派な門の有る、一般の住宅である。
  宿場の終わりは「山陽本線」のガードをくぐるが、その手前に「日光山 光明寺こうみょうじ」が有り、「明治天皇行在所碑」が有る。

  小山(関川城跡)の裾に沿って進むと、国道2号線に合流する。この先しばし側道を行く。
  少し先に高架が見え、そこから2号線に合流してくる為のランプウェイらしき分岐点に差し掛かる。勿論ランプウェイは街道に非ず、 と思って近づくと、これはどう見ても西国街道を歩く人専用と思われる横断歩道がある。

  その先には2号線から分かれるランプウェイも有り、そこにも同様に横断歩道が有った。(Mapで見るとよく分かる)
  高架をくぐってすぐに、2号線歩道の脇を塞いでいた柵が途切れているところが有る。旧街道向けに柵が開けてあるようだ。

  山裾をちょっと進むと下った先に旧街道が続いていた。
  集落に入ってすぐの三叉路には、現在何もなく何の表示も無いが、他の文献に依ると「八木山高札場こうさつば」が有ったようだ。
  (この間に山陽自動車道をくぐってすぐ八木山一里塚跡が有ったが見過ごした。)
  高~い鉄塔が見えて来る。ここを右手へ取り2号線と離れる。やっと静かになった。
  一本道をしばし進む。小さな橋を渡ったところに赤い屋根の祠が有る。その前に閑谷しずたに神社道標が立っている。 この近くに旧閑谷学校(岡山藩主池田光政が1670年創設した現存する学校として世界最古で重要文化財)が有る。

  集落内にある三叉路。この雰囲気はちょっと迷う。右へ進む。
  溜池(西池)を過ぎて集落に入りしばらくしたところに白い道標が目を引く。「藤ヶ棚 茶屋跡」。 江戸期藩主の休憩所が有ったそうだ。

  全く食事処もコンビニも無く空腹を抱えていたが、期待した2号線合流点のお好み焼きやさんは祭日休業だった。
  合流してすぐに2号線の向こう側に白い案内板が見えて来る。「旧山陽道 片上一里塚跡」の碑である。

  少し行くと「いやしの里 ⇒」と言う看板が有る。ここはその車道を上るのではなく、看板を回り込むように細い道に入る。
  すぐにY字路に差し掛かる。広い道の方がスムーズに入りやすい方向であるが、右手の細い道に入り

  またすぐ住宅の間を左手に取る。
  山陽新幹線のガード下をくぐり出たところの分岐を左手、平坦な細い道に進む。

  後は集落の中をほぼ道なりに進めば、小橋を渡り、丁字路を左折する。
  間もなく国道2号線に出るが横断歩道は無く、かなり車も多くスピードも出ている直線なので必ず歩道橋を渡るようにした方が良い。



  JR赤穂線の踏切を渡って集落に入りしばらくすると・・・・・
  「宇佐八幡宮」の鳥居前に「旧山陽道 片上宿(片上津)」と言う道標が有り宿場に入る。
  大分、町に入ったのでどこか食事はできないかと、すこし街道を外れ2号線沿いへ・・・。 ちょうど、2号線に出たところに「HottoMotto」が有ったので今日はテイクアウトのお弁当にすることにした。 ちょうど前には市民センターが有りベンチも有ったのでゆっくりと味わうことが出来た。
  小さな川を渡り少し行ったところに「明治天皇行幸の地」と記された道標が有る。新しいもののようだ

  すぐに交差点に出る。向こう右角が建設中なのか取り壊し中なのか、パネルで囲われ工事中のようだ。 面影は無いがこの一角が「旧山陽道 片上脇本陣跡」である。 地図上には「恵比寿屋跡」とも表示されているが、脇本陣と関連が有るのかは分からない。
  その先三叉路の角に、道標が有り次のように書かれている。
右面 「右 ゑびす道」 西方に恵比寿神社/恵比寿宮などが有る
正面 「左 渡海場 [施主 小浦] 釣舩中」 南方に港が有る。
左面 「天保六未十一月 世話人 京屋庄太夫
方向が反対になるので丁字路の突き当たりに有ったのかも知れない。

  街道と反対の左手へ数十メートル行ったところに「西国街道 片上宿本陣 小國邸跡」が有る。
  道標を西・北へ回り込んで三叉路を左折する。

  なだらかな上り坂となり、それほど高くはないが峠に至る。「葛坂峠」である。 ここにはかつて茶屋が有り「お夏茶屋」と呼ばれていた。 井戸が有りたまたま落ち葉掃除に来られていたご婦人曰く、「お夏はたいそう美人で繁盛していたそうな」。 こうしていつも掃除をしに来られているそうだ。
  坂道を下ると隧道となっていた国道2号線の上へ来る。ゆっくりと国道へ合流する。

  数十メートル先に行くと右手へ逸れる脇道が見える。これが西国街道なのだが、残念ながら旧街道専用横断歩道は存在しない。 トンネルから突然出てくるので気をつけて渡ろう^^;
  この交差点に至る手前で、何回かふくらはぎがピクッとなった。相生で友人からもらった芍薬甘草湯しゃくやくかんぞうとうを一包飲んだ。 本当はここで、2号線の反対側の側道を少し戻って「旧山陽道 伊部いんべ一里塚跡」を写真に納めたかったがちょっとその気になれなかった。

  備前焼の窯元が立ち並ぶ。煉瓦の煙突が何本も見え、登り窯の信楽では見られない街道沿いである。
  「伊部つながり西休憩所」を過ぎると不老川にかかる伊部橋を渡る。流石は土地柄と言うか親柱は備前焼のタイル張りである。

  山陽新幹線の高架をくぐる。
  大滝山福正寺おおたきさんふくしょうじと言う8世紀中頃に開山された由緒ある寺院が有り、その参道と道標である。 ここで本日二包目の芍薬甘草湯しゃくやくかんぞうとうを飲んだ。

  香登かがとの住宅街に入ると右側に「大内神社」の鳥居が有る。その陰に案内板が有り「香登一里塚」と記されている。 実は、一里塚跡ではないんだとは思ったのだがよく読まなかった。 実はこの土塀の向こう(街道沿い)が1.8メートルの石垣になっており、一里塚の土台の二面が見えていたのだ。石積みの一里塚は余り記憶に無い。
  古い道標が有り思わずカメラに収めたが「最上位さいじょう稲荷神社」がどこを指すのか・・。 この先備中高松に最上稲荷山妙教寺という寺が有るようだがそこを指すのだろうか。「是・・」の下に何里とかの文字が埋もれているようではある。 「位」が有っても無かっても「さいじょう」だそうだ。

  本日のゴール「JR赤穂線香登駅最寄り」の丁字路である。
  山陽新幹線と国道2号線を超えて香登駅に向かう。歩道から階段を上がるともうすでにプラットフォーム、登り下りとも同じフォームという無人駅だ 改札は階段下に入口用・出口用のタッチマシンが一台ずつ、シンプルで好い。

  小一時間で岡山駅。降りたときのギャップが激しかった。
  今夜のお宿は前回同様「東横イン」。明日の朝食が楽しみだ。
実は北海道の函館で初めて当ホテルに宿泊、朝食の味に惚れて会員になり、ずっとお世話になっている。

  チェックインを済ませたところで、今日飲み切ってしまった薬を明日のために探しに出かける。
駅構内に「マツモトキヨシ」が有り芍薬甘草湯しゃくやくかんぞうとう20包10日分を購入した。 明日は飲まずに済むと良いのだが。

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