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JR山陽線相生駅~有年宿~JR山陽線三石駅
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21.8km 39136歩/ 8時間12分
涼しく日の長い内に難所を越えたいと、前回のリベンジに出かける事となった。今日は念のため前回友人がくれた痙攣に効く特効薬も持って万全の態勢。
前回何度もお世話になった
相生駅(8:35)
駅前を少し南に下がったところに有るスーパーの角。ここが本日の出発地点。(8:38)
山陽本線との交差地点。線路が敷かれた当時に造られたであろうトンネルをくぐる。
多分線路の無かった江戸時代はこのまま真っ直ぐ先に伸びていたのだろう。(8:47)
MAP参照
山陽新幹線の高架下も抜けて国道2号線と平行して暫く進む。(8:49)
[菅原台]という信号で国道2号線を渡り、そのまま直進して脇道に入る。
暫く左に弧を描くように進んで行くと突き当たりとなる。車が止めてあるのだがどうも
通れなくなった道のような所である。
仕方なく、国道に出る。(8:50)
国道を少し行ったところに何やら柵がしてある。覗いてみるとやはり明らかに道が、先ほどの突き当たりの方に向かって残っている。(8:56)
MAP参照
県道44号線との交差点[竜泉]で横断歩道を渡って直進すると、少し右へ逸れて一段下の道へ下りていく道が有る。
その道を下りるとランプウェイのような車道に出るが、そのまま横断して右手へ川沿いに進む。
国道沿いの車道をそのまま西国街道とする案内も有るが、昔の道がU字型の川を2回も渡るはずが無い。
暫くすると川は国道の下へ暗渠となり、街道は2号線に合流する。(9:13)
又すぐに右手の集落に登っていく脇道が有るのでそちらへ進む。
何故かやたらとソーラーパネルの多い集落を過ぎると[
上松]と言う交差点に出る。
(余談だが、中山道の宿場に
上松と言うのが有るがそこは「あげまつ」と読む)(9:29)
国道が整備されるまではそのまま真っ直ぐに進めたのだろうが、先に横断できるところが無いため、
この交差点を渡り国道2号線から下の集落に下りる側車道の歩道を下る。
MAP参照
降りきったところの三叉路。よく見ると電柱の向こうに村の中に入って行く細い道が見える。これが西国街道である。(9:35)
入ってみると本当に狭い。しかし東海道では幅50cmの
歴とした街道が有ったがそれは現代の事情だろう。
それから見るとこの集落内では昔の広さがそのまま残っているのだろうか。
突然広々とした所に出る。左へ折れてしまいたくなるのを押さえて良く確認して見ると、直進して住宅の玄関に入ってしまうと思しき道が有る。
恐る恐る言ってみると何とクランクに、つまり枡形に曲がって幅1mにも満たないような小路が続いていた。(9:40)
再び国道2号線に沿って走っている車道に合流する。
少し先に国道をくぐるトンネルが有るので、向こう側に渡る。
すぐに十字路に出るので、左へ取る。ここはやはり先ほど集落から出て車道に合流した地点から、真っ直ぐこの十字路へ右手から続いていたのだろう。(9:48)
MAP参照
集落に入って暫く行くと「天満神社」の鳥居が有るところで二股になっているが、少し左へそれて進む。
長~い集落を抜けた辺りに、すぐ左横を2号線が走る丁字路が有るが、ここは直進で先に進む。
すぐ先に有る三叉路は左手に取り国道2号線に合流する。
少し国道を行くとコンビニが有ったので、朝も早かったため昼食にすることにした。サンドイッチ2つ、おにぎり2つ、これからの峠越え用に飲み物2本。
(10:30~11:00/10774歩)
結果としてここから暫くの間は、
本日最大の難関かも知れない。2号線に歩道が無く猛スピードで大型車がどんどん下ってくるので
少し別の道を迂回した。
再び合流したが側道が有ったので
先に行くとかなり下ってJR山陽本線に突き当たるも踏切が無い。
戻ってここから意を決して白線とガードレールの間を行く。かなり危険なのだが線路を越えるにはこれしか方法が無いと言うのは如何なものか!?(11:14)
ガードレールの外側草刈りすれば一人ぐらい通れそうな・・
やっと国道を離れる脇道が有った。
急坂を下ると
国道よりかなり下に平行して地道が有る。これが元々の西国街道のようである。(11:27)
難所 MAP参照
丁度降りたところから後方を見ると本来の街道らしい道が続いている。
多分途切れては居るものの、
先ほど山陽本線に阻まれた、向かい側辺りまで続いているのだろう。
集落を抜けると再び国道に合流する。ここは歩道が有り一安心。(11:40)
ガードマンの方が立っているところを右へ一旦下り、また、登って国道2号線の横断歩道を渡る。
少し国道から間を取って平行に旧街道が続いている。(11:44)
集落に入るとすぐにY字路になる。ほぼ直進の右手に取る。
途中、
JR山陽本線有年駅が見える。
西国街道(
近世の山陽道)は西へ西へと行くが、山陽本線はこの駅を出た後大きく北に進路を取り、
旧山陽道と接するまで北上する。
最も北の位置に上郡駅が有る。
大きく右にカーブして国道2号線に合流する。(11:58)
いよいよ標識に「岡山」の文字が大きく出だした。
しばらく国道の歩道を行くと「
千種川」に掛かる「有年橋」を渡る。
渡りきった所を左折する。(12:21)
集落に入ると十字路を直進(写真右手へ)し、その辺りから
西国街道 有年宿となる。
有年宿本陣 旧柳原邸跡の案内板が有る住宅。
今は別人がお住まいである様子。路地を入った裏には「明治天皇
駐輦記念碑」が有るようだ。
(12:33/18180歩)
参勤交代にも使われた西国街道(近世山陽道)、
有年宿番所跡は現在は標柱が建って居るのみだが、ここに藩役人が通行人を調べるための建物が有った。
番所を過ぎるとすぐに丁字路となり、ここで街道は直角に右へ折れる。
並行していた国道2号線を横断して更に北上する。ここには立派な
鳥居が有り、1744年の建立と言う文化財で有ると記されている。
この鳥居をくぐって登っていくと「有年八幡神社」が有り、さらに登ると「八幡山城(有年山城)跡」が有るようだ。
「
有年家長屋門」。地名は「うね」だがこの家名は「ありとし」と読む。
武士や有力者が建築を許された長屋門は、門番が住まいする長屋が付属する門で、石垣の上に建てられた大庄屋格としては格式の高い貴重なもののようだ。(12:54)
現在は老人ホームになっている「有年小学校跡」で左へ大きく曲がり、田園風景の中を暫く行くとY字路が有り左へ取る。
さらに集落を抜けると、長谷川という川に突き当たる。向こう側の堤防に階段が見えるが昔から街道のために有ったのかは不明である。(13:13)
少し、右手へ迂回して橋を渡る。この辺は「
西有年」と言う地域になるようだ。
暫くすると、再び国道2号線を斜めに横断する。(13:24)
山沿いを進むようになってすぐに白い案内板が見えて来る。「
石造五輪塔」と有るが、現物はしし除けの金網の奥少し上に位置している。
様式・形状から鎌倉時代末期から南北朝初期の作で、個人の墓ではなく、供養塔又は往来者の安全を願ったものだろうと記されている。
山裾を抜けると墓地に行き当たるので左へ進路を取る。
墓地と街道の間に案内板の有る石塔が有る。「
西有年宝篋印塔」と記されている。
製作は先ほどの五輪塔と同時期とされる。近隣の
圃場整備で移設されたようだ。
西国街道では一里塚が残されていることは希であるが、ここには新しい標柱が建てられていた。「
西国街道 西有年の一里塚跡」。(13:37)
そう言えば赤穂市に入って新しい道標を良く見かける。
Uターンして来た長谷川を再び渡る。丁度大きな木の周りをテーブルといすで囲ってある絶好の休憩場所が有ったので峠越えを前に足を休める。(13:40~14:00)
「西有年児童遊園」と言うらしい。トイレも有って旅人には本当に助かる。
集落を出ると十字路が有り、この先は舗装がなくなる。少しずつ上り坂が急になり出した。
いよいよ、有年峠への登山道となる。先ず出迎えてくれたのは、「ジュラシックパークの入口」ならぬ鹿や猪の防護柵。(熊が書いてなくて良かった)(14:08)
「
弁慶の飛礫石」・・らしい。デカすぎるのでは・・。
苔を剥いだ蹟、枯れ葉を掘った蹟、挙げ句の果てには2つ割れの足跡。比較的木漏れ日の明るい山なので未だ良いが余り気持ちよくない。
割と日の差す山中の三叉路。峠は未だらしい。
白い道標にほっとして小休止。西の箱根と言われる「
有年峠」である。
ガレ場のような道ではあるが、一部に残る「
石畳」。「峠を越える」とはよく言ったもので本当に気分が楽になる。
ジュラシックパーク・ゲート再び通過、さらに気分が軽やかになった。
世俗の車の音(一安心ではあるが)が聞こえてくると国道2号線を直角に横断する。
すぐに十字路に差し掛かる。ここには新しい道標が有り、直角に左折する。
集落の途切れたところに大きな案内板が有り、
峠を越えてくる旅人を迎えて栄えた
間の宿「
梨ヶ原宿」
の遺跡がこの街道と2号線の間辺りに発掘されたようである。
「
梨ヶ原の一里塚跡」。この道標は、形状こそ今まで見た新しいものと同じだが石柱の立派なものである。
梨ヶ原の集落を出ると、国道2号線に合流し、
又すぐに右に逸れる。山陽本線が国道と並行して走っているので踏切を渡る。
ここでも次の峠に備えて10分ほどリュックを下ろして小休止。(15:39)
さて本日のラストスパート、最後の峠へ出発。基本適に2つの山の谷に当たる所を山陽本線と国道2号線、そのちょっと高い所を西国街道が峠越えする。
丁度峠は国道のトンネル真上に当たる。
トンネルの入口は西国街道からのぞき見ることが出来る。
いよいよ岡山県に入る。ここは県境「
船坂峠」。
この峠道は現在の2号線が出来る前は国道だったのだろうか、そこそこの広さが有り、苔むしては居るものの舗装されている。
くねくねと下っていくと、眼下に国道との合流点が見える。
しばらくの間、歩道をなだらかに下って行くと、道路が平坦になった辺りに右手へ少し下って行く脇道が有る。
踏切(山陽本線ではなく支線のようだ)を渡ってその道へ進む。
小さな川の手前で、トンネルになっている現在の2号線から分岐して来た旧2号線に合流する。
川沿いを道なりに暫く進み、大きく左カーブすると直角に右折している角に突き当たる。
ここが本日の終着点。次回はここ「三石宿」からスタートとなる。
小橋を左へ渡ると、もうJR山陽本線
三石駅である。(16:52/39136歩)
多分5時頃着くだろうと帰りの「乗り換え案内」も見て置いたのだが、丁度16時55分発に滑り込んだ。
この帰りの電車が何ともほっこりする。
後日調べ
有年峠の東側入口に有った案内板の内容を後日吟味してみた。有年峠を通る西国街道(近世の山陽道)に対して鎌倉時代以前は『太宰府に通じるのは「山陽道」と呼ばれ、たつの市小犬丸から上郡町髙田を経て・・』と有る。つまり
旧山陽道、中世の山陽道との表記もどこかで見た。
又、『明治18年明治天皇ご巡幸の際、三石村宿泊、翌日
鯰峠を馬で越え、
馬路池で小休止の後、馬車で有年宿に向かう』と有り、この辺りでは3通りの街道が存在した事が分かる。
それぞれ取り敢えず概略のコースを描いてみた。
黄色いラインで示したのが旧山陽道。梨ヶ原で合流しているように描いたが、仮の姿で何のエビデンスも無い。
ただ現在のJR山陽線と同様に山を大きく北へ迂回するコースとなって居り、そのままひと山北の谷を辿ってたつの市小犬丸に到っている。(たぶん県道5号線)
完全な想像だが、どこかで近世の山陽道「西国街道」に繋がっていたとしたら、鵤宿ではないか。
宿場が大きく西国街道とオフセットしているのも頷けるのだが・・。
勿論、ご巡幸の際に整備されたコースは現在の国道2号線のベースとなったことは言うまでもない。
2024.6.8 追記
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