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東戸塚駅~保土ケ谷宿~神奈川宿~川崎宿~東蒲田二丁目

2017年3月22日(9時間15分/36672歩)



  温泉付きの綺麗なホテルだった。6,100円(朝食付き)で少し心配していたが、和洋バイキング式で味も良く種類も多く大満足!
  通勤時間に当たってしまったがそれ程混では居なかった。東戸塚まで一駅、改札口を出るとそのまま陸橋とエスカレータで昨日の終点まで一挙に上る。 ビルにして7,8階はあろうか。

  昨日とは打って変わって快晴のウォーキング日和。さて出発(右・左写真=8:00)。
  すでに急坂は済ませておいたので、今日はなだらかになった品濃坂をしばし上る。 交差点は要注意、通勤時間帯なのとかなりの高台から下ってくる車は容易に泊まってはくれない(右・右写真=8:03)。
  通りを横切って向こう正面の細い道へ進む。

  すぐに品濃坂も峠となり下り始めようかと言う所に「品濃の一里塚跡」がある。 東西両側にこんもりとした小山が原型を留めており、道幅も含め往時の様子が伝わってくる(左・左写真=8:05)。
  少し下ったかと思うと急な登り坂となる。「焼餅坂」と言って、茶屋が並んで居り焼き餅を売っていたらしい。登り切ると相模・武蔵の国境となる(左・右写真=8:17)。

  「相模国・武蔵国 境の木地蔵尊」を後にし、右手へ進むと境木小・中学校が右手に有り、左手にバスの折り返し場がある(右・左写真=8:51)。2、3分の道のりを33分掛かっているのはここを真っ直ぐ行ってしまい戻って来た為である。難所と言われる急坂、戻りは疲れる。
  正しく左に進むと一服せよとばかりに富士を望む雄大な景色に遭遇した(右・右写真[4.5倍望遠]=9:05)。

  「横浜横須賀道路」の上を跨ぐ陸橋を渡り「権太坂」を下り切ると丁字路に突き当たる(左・左写真=9:19)。ここを左に取る。右へ行くと国道一号線[元町橋交番前]であるが、合流はもう少し後になる。 元町橋を渡り、次の[元町ガード]信号を右へ(左・右写真=9:21)。ここは保土ケ谷宿入口の枡形と思われる。

  間のなく国道一号線[保土ケ谷二丁目]交差点にて合流する(右・左写真=9:31)。
  旧街道右側から歩道を渡って国道の右側へ出る事も出来るが、少し先に歩道橋が有るのでそれを渡る事にした(右・右写真=9:33)。 保土ケ谷宿の旧跡は国道の右側(南側)に有る。

  川沿いの歩道を進むと、松並木が再現された一角に来る。ここには「保土ケ谷の一里塚跡」と「上方見附跡」の案内が有る(左・左写真=9:38)。
  さらに川沿いに行くと、一目で分かる「旅籠 本金子屋跡」が残っている(左・右写真=9:43)。
  又そのすぐ先には「脇本陣 水屋跡」の碑が有り、そのほかに藤屋、大金子屋と全3軒の脇本陣が有った様で有る。

  2つ続く信号の手前[保土ケ谷一丁目本陣跡前]交差点南側に「保土ケ谷宿 苅部かるべ本陣跡」がある(右・左写真=9:48/7570歩)。 1859年横浜開港時苅部家当主清兵衛悦甫(せいべええっぽ)が総年寄として町政に尽くしたと有る。 また、明治に入って苅部から軽部かるべに改称し、現在に至っている様である。
  本陣の門、裏側から直角に曲がる旧東海道を望む。

  しばらくすると、JR東海道本線の踏切に差し掛かる。交通量も多く、なかなかの開かずの踏切で人だまりが出来ている(左・左写真=9:54)。
  間もなく駅前から来る広い道路に合流する。次の信号[反則センター]の左向こうに「旧中なかの橋跡」の案内がある(左・右写真=10:12)。 今井川はここを横断していたようだが、後に右側を真っ直ぐに流れるよう改修された。

  相模鉄道本線(高架)の「天王町」駅手前の広場に小さな橋のモニュメントある(右・左写真=10:22)。 歩道脇には松の木が植えられ、歩道から橋を渡るようにアスファルトの小道が敷かれている。「旧帷子かたびら橋跡」である。
  そのまま高架下をくぐると、向こうに続く旧東海道に出る。帷子川を渡って200m程の所に「江戸方見附跡」がある(右・右写真=10:32)。

  見附からすぐに、大きな交差点[松原商店街入口]へ出る(左・左写真=10:34)。商店街が旧東海道である。
  1キロほど歩くと、センターラインが右折して広い道路に出てしまう所に来る(左・右写真=10:50)。ここはそのまま真っ直ぐ一方通行の方へ進む。

  次の三叉路では、少し左斜めに行く道路が地図上旧東海道と示されている。 しかし実際通ってみると、環状1号に合流するには多分公園内を進む方がそれらしいと感じた(右・左写真=10:51)。
  左へ進んだので右手に見える水色の歩道橋を渡り環状1号に合流する(右・右写真=10:52)。

  いくつか信号のある交差点を過ぎると、環状1号の上を首都高速が通っている(左・左写真=11:11)。
  これをくぐるとすぐに有るのが[西口ランプ入口]という交差点。ここを斜め左に脇道へ入る(左・右写真=11:12)。(「そば処」の広告の有るビル裏手へ)

  街道は緩やかに高台に登って行く。間もなく横浜駅前から続く広い道路の上を跨ぐ「上台かみだい」に差し掛かる(右・左写真=11:18)。 「かつてこの上台橋のあたりは、潮騒の聞こえる海辺の道であった。」と記されている。
  さらに上って行くと峠手前に「神奈川台関門跡の碑」が有る(右・右写真=11:25)。実際は少し西寄りであったようである。鶴見橋関門と共に東西両側に設けられた様だ。

  峠を過ぎて下り坂中程に、幕末坂本龍馬の妻となった「おりょう」が働いていたとされる料理屋「田中家」が有る(左・左写真=11:28)。
  さらに下り、再び環状1号に出る手前に大綱金毘羅おおつなこんぴら神社の鳥居が有り、かつてその前両側に土盛りされた「神奈川の一里塚」が有ったとある (左・右写真=11:33)。

  環状1号に再び合流、というより旧東海道は正面のマンション右横「宮前商店街」に向かって直進していた(右・左写真=11:34)。
東海道線を敷く為切り割りされて橋が架けられたそうだ。
  左に迂回して[青木橋]交差点の歩道を橋の方へ渡り、橋のたもとをすぐ左方向へ国道一号線を渡る(右・右写真=11:35)。

  宮前商店街入口のインド料理店で昼食(左・左写真=11:45/15024歩/12:15)。この建物の裏手に「甚行寺」と言う寺が有り、フランス公使館が有ったとある。
  商店街を300m程行くと国道15号線に合流する(左・右写真=12:23)。この辺りは神奈川宿の中心部であった。

  [中央市場入口]交差点の歩道橋で対角線上の角へ向かう(右・左写真=12:25)。
  歩道橋を下りて少し中央市場方面に戻った歩道橋下に、「神奈川宿 本陣跡」に関して記述された道標が有る(右・右写真=12:28/15883歩)。 実際の本陣跡ではなく、青木町 鈴木源太左衛門本陣跡と滝ノ橋を挟んで神奈川町 石井源左衛門本陣跡が有ったと記述された案内道標である。

  交差点から北東へ15号線側道を少し行くと小さな川が有る。これが「滝ノ川」で、架かる橋が「滝ノ橋」である。 ちょうど川に沿うように横断歩道を渡る(左・左写真=12:32)。
  川沿いに2,30m程の丁字路、川縁に「滝ノ橋と本陣跡」の案内道標がある(左・右写真=12:36)。何れも実際の本陣跡ではなかったが記載場所は地図上にマークした。

  神奈川新町駅付近の交番と大勝軒というそば屋の間を一筋入ると、「神奈川宿入口土居(枡形の一種)絵図」が掲示されている道標が立っている(右・左写真=13:08)。
  4,50分も歩くと、横浜環状北線の高架下に来る(右・右写真=13:58)。すぐ先の信号を渡って右斜めに旧東海道へと入る。

  旧道に入るとすぐ「生麦事件の碑」が有ると調べてきたのだが、見つからないまましばらく来ると横浜環状北線の工事の為一時移設されていた(左・左写真=14:02)。
  さらに、信号のある交差点を越えて一筋目の丁字路角付近の民家(左側)に「生麦事件発生現場」の案内板が掲げられている(左・右写真=14:15)。

  鶴見線のガードをくぐりしばらくすると国道15号線と[下野谷町入口]で斜めに交叉する(右・左写真=14:29)
  旧東海道らしい細道を進んで行くと京急鶴見駅に行き当たる。そのまま駅舎の端を左高架下へ回り込んだ所にある横断歩道を渡る(右・右写真=14:49)。 その先真っ直ぐ続くのが旧東海道である。

  道なりに進んで行くと「鶴見川」に掛かる橋の白いアーチが見えてくる。右側歩道奥にこんもりと木々の茂る一角が「鶴見橋間門旧蹟」である。
  橋を越え400mほど進むと「市場の一里塚跡」の碑が建っている(左・左写真=15:11)。
  市場村から八丁(約870m)程、田畑の中を進んで川崎宿京口土居に達した事から八丁畷なわてと言われたとある。

  同名の駅横の踏切を渡り線路沿いに進む(上・右写真=15:30)。
  京急本線から離れ、[川崎警察署東側入口]という大きな交差点を過ぎ、二筋目の駐車場角に「川崎宿 京入口」の案内板が立っている(右・左写真=15:41)。
  [小土呂橋]と言う交差点、左手前の角に「小土呂こどろ橋親柱」がある(右・右写真=15:46)。現在は暗渠(新川通)となった新川堀に掛かっていた。

  小土呂橋から二筋目、信号の有る交差点向こう左にある「cassiaレジデンス」と言う建物の硝子窓一面に「川崎宿 佐藤本陣(上の本陣)跡地」の掲示がある (左・左写真=15:52/31155歩)。
  さらに、[砂子一丁目]信号角に「惣兵衛本陣(中の本陣)」が有り、高札場のような宿場案内が立っている。

  [本町一丁目]信号の2軒手前、平屋の建物沿いに「川崎宿 田中本陣(下の本陣)」が有る(右・左写真=16:04)。昔は京に近い方が上本陣となっていた。
  少し行くと国道409号と交叉[本町]し、さらに進むと国道15号(第1京浜)の低いガードが見えてくる(右・右写真=16:11)。このガードをくぐって国道の右側を堤防から下りてくる車道の側道を上る。

  堤防には「明治天皇六郷渡御碑」と記された石碑が有り、資料に依ると多摩川に舟23艘を横に並べ、 碇や綱を張って流れ止めをした上に板を渡した簡易の橋の様子が載っている(左・左写真=16:14)。
  六郷橋を渡りきると歩行者専用の階段に続く歩道が有るので、ほぼ旧街道方向に真っ直ぐ進む事が出来る。

  土手上から[六郷土手]交差点と、15号線の高架を望む(右・左写真=16:24)。このまま15号線に沿って行けば本日の終点「蒲田駅最寄り」となる。
  前方に京急空港線の高架が見える[南蒲田]交差点を過ぎた辺りで、夕食にする事となった(右・右写真=17:00~19:20/36672歩)。
  この後、少々酔いの回った足取りで[東蒲田二丁目]を本日の終点とし(19:35/歩数不明)、JR蒲田駅方面のホテルへ向かった。

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