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三島宿~箱根宿~畑宿(間の宿)

2016年10月19日(8時間5分/40455歩)



  一年半ぶりの三島駅、東海道つぎはぎウォーク再開である。雨が多かった10月、幸いにもこの3日間は晴れ模様。 ただし、夏のような暑さに戻ってしまった。(左・左写真=9:39)
  三島駅から1キロ近く南に、旧東海道がある(現県道22号線)。前回の終点「世古本陣跡」のある交差点からスタートする。(左・右写真=9:45)

  三嶋大社の鳥居をくぐり、旅の無事をお祈りする。(右・左写真=10:04) 実は、最近人里に熊出没のニュースが多く、恐がりの私は祈らずに居られなかったのである。
  県道22号線は大きく右カーブして国道1号線へと向かう。旧東海道(この辺りから道標は「箱根旧街道」となる)はそのまま細い道を直進する。(右・右写真=10:25)

  いよいよ旧街道らしくなって来る。そして少しずつ登り始める。(左・左写真=10:28)
  ピンク色の住宅を回り込むように登って行くと、東海道本線の[旧東海道踏切]がある。この辺りから「愛宕坂」と言うようである。(左・右写真=10:29) 案内板によると、1680年に竹敷きで滑り易かったこの急坂を石畳に改修したとある。(三島市教育委員会)

  峠手前には復元された石畳が有り、同じ案内に、1769年にその石畳を修理した記録に「愛宕坂では、長さ140m、幅3.6mを修理した」と書かれていたとある。 (右・左写真=10:34)
  峠を過ぎ、石畳の旧東海道を少し下っていくと、国道一号線[五本松]交叉である。

  横断歩道を渡るとすぐに[石畳遊歩道]と書かれた旧東海道が松並木に沿って整備されている。[史跡 箱根旧街道]の石碑も建っている。(左・左写真=10:37)
この並木は「初音原はつねがはらの松並木」と言い、1キロ近く続いている。国道の立体交差上掛けられた歩道橋を渡る。(左・右写真=10:47)

  立体交差を過ぎるとすぐに、樹齢を感じる大木が目を引く。「錦田にしきだの一里塚跡」である。国道一号線を挟んで両側にそびえる立派な一里塚である。実際の旧東海道はこの歩道よりは少し南側であったのだろう。(右・左写真=10:52)
  松並木を過ぎて少し行くと伊豆縦貫道の上を渡り、国道1号線[三島塚原IC]交叉に来る。(右・右写真=10:57)

  信号を渡り、数十メートルの所に「箱根路」と掘られた大きな石碑が有る。ここを左手へ入り、塚原新田と言う集落を通って徐々に登って行く。(左・左写真=11:01)
  国道一号線[市山新田]交叉に接するように、緩やかな右カーブに近づくと、横断歩道が有り、ガードレールの外側、歩道の先に森の中へと入っていく旧街道がある。 (左・右写真=11:16)ここから「臼転坂うすころげざか」である。

  牛が転んだとか、臼を転がしたためこの名が付いたと言う石畳の森を抜けて、再び車道(旧国道一号線)に出る。(右・左写真=11:24)
  市山新田集落の、大きく右カーブする所に三叉路が有る。この信号の有る交差点を左折する。(右・右写真=11:29) 道幅を考えれば旧街道は直進だったと思われる。

  先を見ると、寺社の参道のような階段が見える。上がり口まで来ると、「箱根旧街道 題目坂」の道標が立っている。(左・左写真=11:31)
  相当に足に来る坂道ではあるが、そう長くは続かない。足利尊氏が建立したと言う「七面堂旧跡の碑」がある交差点を左手へ取る。 (左・右写真=11:33) この辺りの坂を「大時雨坂おおしぐれざか」と言うらしい。

  しばらく坂を登ると旧国道一号線と合流する。(右・左写真=11:37) この辺りから三ツ谷新田に至る辺りが「小時雨坂こしぐれざか」の様である。 寺本陣と言われた「松雲寺」があり、富士山も見える。
  広い三叉路が有り、その先で旧国道一号線は大きく右にカーブする地点がある。(右・右写真=11:56) そのカーブを直進する方向に旧街道が分岐するので注意が必要である。

  三叉路から数十メートルの所に左へ分岐する旧街道の入口が有り、さらに登って行く。(左・左写真=11:57) この辺りから少しずつ坂が急に成って来たように感じた。
  「こわめし坂」の笹原新田集落を抜けた所で、旧国道が合流した現在の国道一号線と交叉する。(左・右写真=12:12) ここで、とても残念な案内板が目に飛び込んできた。 通行止め

  もう少しの所にある「笹原の一里塚」や「笹原石畳」には行けないが、場所はグーグルマップの 「東海道つぎはぎウォーク」で確認して欲しい。 (右・左写真=12:13)
  しばらく側道を夏のような日差しに照らされながら上って行くと「三島スカイウォーク」という施設の駐車場入口に来る。正に、その入口の筋向かいに旧東海道が出て来る。(右・右写真=12:24)

  100m余り国道の側歩道を行ったところ(駐車場の端辺り)にまた旧東海道への入口がある。(左・左写真=12:26) 国道を少し言った所に「笹原山中バイパス」の工事現場がありトンネルのような橋梁が出来ていた。もしかするとこの上を旧街道が通るのかも知れない。
  かなり大回りして来た国道の「富士見平ドライブイン」前で旧街道は国道一号線と直角に交差する。(左・右写真=12:52)

  横断は急カーブが有り非常に危険な為、ガードレールに沿って少し上った所に横断歩道がある。 ドライブインの駐車場を通って元の位置に戻る。残念ながらこの先も歩行者通行禁止となっていた。(右・左写真=12:52)
  さらに大回りをして、[山中城跡 500m ?]の標識の有る交差点[山中城口]まで行く。(右・右写真=13:15)

  旧東海道は、ここでもう一度国道一号線と直角に交差し、山中城跡方面へ向かう。ここが旧街道の江戸側出口。(左・左写真=13:16)
  明るい車道から見るとトンネルみたいに暗い旧街道だが、強い日差しや寒い風を遮ってくれる快適な道路であり続けて欲しいと思う。 もう一度迂回路図を見ながら、実際の街道を歩いた気分を味わった。

  横断歩道を渡って少し直進した所に「倶楽部 四季遊山」と書かれたゲートがある。このゲートの前が旧東海道の分岐点である。(右・左写真=13:19)
  ここからの石畳は平らな石を敷き詰めた比較的歩きやすいものとなっている。江戸時代からこうだったのか、近年整備されたのかは不明だが、なだらかな登り坂を進む。(右・右写真=13:21)

  石畳を上りきると旧国道一号線と交叉する。「史跡 山中城跡」南側の入口前である。(左・左写真=13:29)
  駐車場の右横から石畳の歩道のような旧東海道を上り集落に入って行く。しばらくすると、右側を迂回してきた旧国道一号線と合流する。このあと少しの間山中新田の集落を国道に沿って進む。(左・右写真=13:35)

  集落の外れ「諏訪神社」の鳥居(筋向かいは うなぎ蒲焼き 竹屋)を過ぎた所に、忽然と歩道橋が現れる。(右・左写真=13:40) 現在は山中城跡の北側を通るバイパスが本線になっているが、こちらが一号線だった頃に旧街道用に造られたものであろう。
  歩道橋を下りた所から森の中へと進む。344m の「山中の石畳」が続く。(右・右写真=13:47)

  鬱蒼とした森が開けると国道一号線S字カーブの途中に合流、ガードレールに沿って石畳の歩道が整備されている。(左・左写真=13:58)
  なだらかに左へカーブして行くと、前方に横断歩道が見えてくる。ここを渡ってそのまま真っ直ぐ脇に入ると旧街道である。(左・右写真=14:02)

  すぐに住宅の敷地に入ってしまいそうになるが、砂利道に沿って右へ曲がるとまた山中に入る。(右・左写真=14:03) この辺の坂を「小枯木坂」「大枯木坂」と言う。
  しばらくすると、すぐ右下に国道の騒音が聞こえ近い事が分かる。 この辺りに右へ下りていく舗装された道が見えるが国道へ下りてしまうので左手へ取り、さらに山中に分け入る。(右・右写真=14:14)

  ここは「石原坂」「石荒坂」と益々急坂となり、400m に渡り石畳が続くが少しごろごろとして荒れている所が多い。(左・左写真=14:15)  途中「かぶと石」という、兜の形(豊臣秀吉が小田原征伐の折兜を置いたとも)の石があるが、後ほど出て来る「兜石坂」から移設された。
  国道へ出る少し手前に「山中新田(接待茶屋)の一里塚跡」がある。(左・右写真=14:34)

  国道へ出る。旧道が遮断され、通行できなくなったため、歩道が石畳となっている。(右・左写真=14:35) ここを左折する。
  右急カーブを曲がり切ると程なく、左側に階段が見えてくる。(右・右写真=14:39) ここが、旧東海道の入口であるが、しばし階段に腰を下ろし、足を休ませる。 ここからが「兜石坂」。かぶと石が国道工事の為移動される以前あった場所である。

  森を抜けると、木々の疎らなゴルフ場の広々した景色が目に入る。その周回道路を右折する。(左・左写真=15:05)
  しばらくその舗装路を進んで行くと、前方に再び右手を迂回してきた国道一号線が見えてくる。(左・右写真=15:11) 未だ合流はせず、数十メートル手前に、歩道が石畳になっている所が有る。これが整備し直された(新)旧東海(歩)道である。

  実はこの旧東海道は箱根エコパーキングの周りを通っているのだが、この木製のゲートすぐ横の駐車場内が、地理上の「箱根峠」である。(右・左写真=15:15)
  もう少し先へ進むと、国道一号線[箱根峠]の複雑な交差点があり、国道と県道が合流する所を渡る。(右・右写真=15:17) この辺りは標高846m、やっと・・の思いがこみ上げてくる。

  現在の国道としての峠は過ぎたが、旧東海道としての峠はもう少し上のようである。 信号を渡った所は「箱根くらかけゴルフ場」の入口でさらに登って行く事になる。(左・左写真=15:18)
  とは言え、すぐに峠に達し下り出した所が三叉路となっており、右はゴルフ場、左へ下る。(左・右写真=15:20)

  右側が箱根新道から国道一号線に合流してくる下り一方通行。 左へカーブしているのが国道一号の上下線。中央ゼブラゾーンに沿って国道右側を左へ下る。(右・左写真=15:23)
  箱根峠方面から箱根新道へ入るランプウェイの下をくぐり、箱根関所方面から来る国道が、箱根新道へのランプウェイと正に分岐する辺りの右側道に[箱根旧街道]の道標が有る。(右・右写真=15:26)

  「はさみ石坂」と名の付いた旧街道入口は、ちょっと進入するのをためらうほど、狭く急な階段になっている。 (左・左写真=15:29)しかし降り切ると少し幅は狭いものの石畳が続く。この辺りは「釜石坂」と言い、江戸時代の杉並木が現存している。 箱根関所付近など他の場所も含めて約420本の老杉が残っているそうだ。
  国道一号線ガード下をくぐる。(左・右写真=15:37)

  「赤石坂」「向坂」と下ってきて杉並木もここまで。住宅地に入っていく。(右・左写真=15:41)
  再び国道一号線と合流するため左折する。(右・右写真=15:47)

箱根関所跡港から芦ノ湖に浮かぶような「箱根関所」を望む
(上写真=15:57) 

  旧東海道から箱根関所への入口を左折した所(入口を振り返っている)(右・左写真=15:59) 関所内を通り抜けて、突き当たりを右に折れ、国道一号線に戻って左へ取る。 (私たちは京口御門の所から戻って国道を進んでしまった。1時間以上旅程が遅れ焦り出していた。のちこの事がトラブルに・・)
  国道の山側の歩道が、そのまま杉並木の旧東海道である。(右・右写真=16:08)

  歩道橋をくぐって、2006年に閉館されたという「箱根芦ノ湖美術館」前で車道に出る。(左・左写真=16:14)
  さらに車道を数メートル、山側に立つ二本杉の大木の足元に「葭原久保よしわらくぼの一里塚跡」がある。 ここからは歩道がないので要注意。(左・右写真=16:15)

  間もなく「箱根神社」の大鳥居が有り、旧東海道(国道一号線)は鳥居前を右へ曲がる。(右・左写真=16:19) 西日は差しているもののかなり暗く感じるようになって来た。
  少し先に横断歩道橋が見える辺り、左側に[箱根旧街道]と書かれた、杉並木の側道が有る。(右・右写真=16:24)

  5,60mも行くと、歩道橋の上り階段に自然と行き当たる。木製の如何にも旧街道らしい歩道橋である。「杉並木歩道橋」と名付けられている。(左・左写真=16:26)
  山中に分け入ってしばらくすると車道と交叉するが、車道にも平らな石が敷かれ(その左右車道はアスファルト)箱根八里の石畳への思いが感じられる。(左・右写真=16:34)

  この辺りで国道に降りてタクシーでも使えば良かったのだが、あと4キロほど(畑宿民宿)と強行軍をしてしまった。 県道732号線(たぶん旧国道一号線)のカーブする所へ出る。(右・左写真=16:51)カーブ内側に旧道入り口が見える。(バス停にバスが止まっていたが無視)
  「箱根旧街道休憩所」を通って一旦県道沿いの歩道へ(右・右写真=17:04)

  すぐ下に県道を見下ろしながら進む旧街道。(左・左写真=17:09) 写真より実際はもっと暗く見辛くなってきた。 階段を降りると横断歩道が有り、そこからまた木々の生い茂る中へ急坂を下りる。(左・右写真=17:10)
  このように石畳風の歩道と、車道を離れた所は石畳と言うように、車道の蛇行をバイパスするように頂点を結び、所々歩道も一緒に蛇行する。

  これが最後の写真となってしまった。県道732号線とそう離れてはいないのだが、少し長めに石畳を下った所で、激しく何度も蛇行する県道に出る。(右写真=17:25) 歩道を僅かな明るさに目をこらし歩く、この後、ほとんど県道沿いの歩道を通って、箱根新道(最も新しい国道一号線)の上を、下をと3回立体交叉する。
  最後に歩道から旧街道石畳に下りる頃には、真っ暗となってしまった。このまま県道を下りようかとも思ったのだが、返って遠回りになってしまうと意を決した。
  今回は虫が知らせたのか、二人ともLED照明を持っていた。 左手にグーグルマップのスマホ、右手に照明と動物除けの鈴(熊鈴という)を持ち、湿った石畳はとても危険である事を実感する事になった。2回も転んでしまったのだ。 昔の旅人の草鞋(わらじ)なら大丈夫だったのだろうか。
  もう一度、箱根新道の上を渡ってしばらく下っていくと微かな灯りが見え、私たちに呼びかける声が聞こえた。「民宿 たちばなや」さんの奥さんが迎えに来てくれたのだった。 かなり気を張っていた私は、田舎に帰って母親の声を聞いたような気分になった。(たちばなや着=17:44)
  元箱根に止まろうとしたのだが、ちょっと目的の違うホテルしかなく、民宿はすべて5年ほど前に後継者不足でやめられたとのこと、 一足伸ばした無理な計画を反省しつつ、意図せず「小田原提灯ぶらさげて・・・」を体験できた有意義な一日目であった。

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