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吉田宿~二川宿~白須賀宿~新居宿

2012年11月3日(35606歩/6時間40分)



  最高の秋晴れ、豊橋駅に立つ。(左・左写真=9:18) 最も北側の階段を降り一信号行ったところを右折二筋目、斜めの道を突き当たると「松葉公園」である。
  公園の北東角に建つ道標(左・右写真=9:29)。前回は左奥から来てこの交差点で終了した。 今回は街道で言えば左折、つまり写真右手へスタートする

  スタート早々大失敗。ここは札木町の国道259号を渡った角にあるNTTのビル前であるが(右・左写真=9:38)、 実はこの国道の手前に本陣があったのをもっと後で(実は帰ってから)気がつくのである。 「うなぎ料理丸よ」が吉田宿本陣跡(旧清須屋)である。
  NTTから二筋目の細い丁字路が曲尺手(かねんて=枡形)の入口である(右・右写真=9:41)。これを左折。

  またすぐに一筋目(理容店角)を右折(左・左写真=9:43)。ここは何の案内もないのでちょっと不安になる。
  この辺は住所も「曲尺手町」という。中央並木のある車道を横切り(左・右写真=9:46)、真っ直ぐ「鍛冶町」方面へ。

  広い車道が斜めに横切る信号[鍛冶町]が見えたら、その直ぐ手前の丁字路を左折する(右・左写真=9:51)。
  さらに一筋目、左角に保険代理店のある十字路を右折する。ここも曲尺手である(右・右写真=9:52)。

  突き当たりは先ほどの広い車道で、筋向かいに畳屋さんの建物が見える(左・左写真=9:53)。 ここはよく見える中央分離帯に<東海道 ]の標識がある。
  歩道橋の上り階段横に「東惣門」が建っている。 元は、東海道にまたがって建っており番所や駒寄場もあって、朝六つ(午前6時)から夜四つ(午後10時)まで開けられ、 これ以外一般の通行が禁止されたとある。

  方向で言うと路面電車からそれて南東へ向かう国道1号線に合流するのだが、 この先で街道は左へ逸れるためさらに歩道橋を渡って、左側道を行くことにする。 歩道橋の上から交差点向こうに常夜灯が見える(右・左写真=9:57)。
  立派な塔が見えてくる(右・右写真=10:09)。次のポイントまで東惣門から2/5くらいの処[瓦町]信号にある。

  ちょっと紛らわしい分かれ道(左・左写真=10:16)。[伝馬町]信号、角に信用金庫が有るところはそのまま国道を行く。
  洋服の青山がある分かれ道も国道を進み、しばらくすると三つ目の分岐点の中央にマクドナルドのタワーが見えてくる。 ここは左へ(左・右写真=10:30)。ここには飯村の一里塚跡が有るはずなのだが発見できなかった。

  [飯村南二丁目]という信号を過ぎてしばらくすると、「岩屋郵便局」付近で道路が二つに分かれる(右・左写真=10:57)。 左が本街道上道、右が脇街道下道。ここはやはり左へ。
  山に向かって進んでいくと、「ガーデン・ガーデン」という看板の掛かった植木屋(花屋)さんがあり、 その大きな敷地を回り込むように右折する(右・右写真=11:11)。

  ずっと坂を下る。「火打坂」というようだ。同名の交差点にたどり着いた(左・左写真=11:21)。
  そのまま渡ってJR東海道線沿いにしばらく行くと、二川駅前を通る(左・右写真=11:27)。

  本陣まで後100m足らずという所に、「高札場跡」がある(右・左写真=11:40)。御菓子の中原屋というお店の前である。
  ここは、東海道と中山道の合流する草津宿本陣と並んで、当時のたたずまいを残す「二川宿本陣」である(右・右写真=11:42-50/13555歩)。 その裏手奥には「二川宿本陣資料館」もあり、一日ゆっくりと見たいところである。

  町外れの丁字路角に「二川の一里塚跡」の石碑がある(左・左写真=11:57)。JRがもう目の前という外れである。
  少しJR沿いに進むと踏切を渡る(左・右写真=11:59)。ちょうどレストラン「洋食屋コウヨウ館」があったので昼食にする(12:00-12:31/14637歩)。

  「梅田川」を渡ると二股になる(右・左写真=12:37)。 微妙に東海道の方向に迷わされるが、ここは右手へ。
  新幹線のガードをくぐると、国道一号線となる(右・右写真=12:38)。

  ここから次の一里塚跡まで約4kmはずっと国道1号線の側道を歩く。 広々とした白菜やキャベツの畑中を行くとこんもりした森が見えてくる。 全体が小山になっていて「一里山の一里塚跡(別名東細谷の一里塚跡)」である(左・左写真=13:25)。
  そこから4、5百メートル行くと県道173号線左の標識がある(左・右写真=13:32)。ここを左折する。

  盆地のようになっている坂を降りきると「静岡県」に入る(右・左写真=13:35)。
  少し坂を上ると車道に沿うように左側を通る脇道がある(右・右写真=13:38)。こちらが旧街道である。

  坂の頂上で県道に出ると、直ぐ県道は右へカーブしていく。ちょうどそこに境宿への入口がある(左・左写真=13:41)。
  「境宿」とは白須賀宿の加宿と書いてあった。後で知ることになるのだが海辺にあった白須賀宿は再三の津波で坂の上のこの地に移転したそうだ。 去年の3月11日津波を見たこの時代の者としては身につまされるた。。

  [白須賀駐在前]信号を過ぎ2軒目辺りに「白須賀宿本陣跡」がある(右・左写真=13:56/22996歩)。
  ここは「曲尺手」の角が取れたところ(右・右写真=14:03)。軍事的な意味のほか、 大名同士がすれ違う際、格下の大名に駕籠から降りる恥をかかさないよう曲尺手で見えないうちに、休憩を装い最寄りの寺に避難させたとある。

  しばらくすると、左手に学校が見えてくる(左・左写真=14:09)。実は手前が白須賀小学校、奥が白須賀中学校である。
  その中学校を回り込んだところに遠州灘を見下ろす絶景ポイントがある。「潮見坂公園跡」(近年学校を含めた広い公園であった)である(左・右写真=14:14)。

  少し坂を下ったところに白須賀宿歴史館としての「おんやど白須賀」がある(右・左写真=14:23)。少しトイレ休憩させてもらった。
  ここからは急坂となる。あまり急がない方が良い。後で足に来る。 S字にくねって下まで降りるが、その入口付近(右・右写真=14:29)。二股になっているが左へ進む。

  S字後半のカーブ付近二股を右へ(左・左写真=14:31)。
  突き当たりで左折して、海岸沿いに東進する(左・右写真=14:35)。旧道で海抜約7mの標識があった。さらに海沿いに国道42号線と1号線が並んでいる。

  特徴がなく分かりづらいのであるが、「内宮神明神社」の参道十字路から100m先、左。 民家の軒下に「白須賀の一里塚跡」と「高札建場跡」がある(右・左写真=14:43)。
  さらに先には、東海道らしい松並木があり、「立場跡」の石碑が建っている(右・右写真=15:10)。

  嬉しいことに、この松並木は延々と続く。やはり旧街道歩きはこう有りたいものである(左・左写真=15:22)。
  ちょっと左方向に誘導されそうな分かれ道であるが、この先で右方を走る国道1号線と合流合流するので、ここは右手へ直進する(左・右写真=15:27)。

  国道1号線に[橋本西]信号で合流(右・左写真=15:31)。ほんの一信号だが国道脇を行く。
  次の信号[橋本](右・右写真=15:34)。目印は地下道の入口。左へ回り込んだところに道標がある。

  曲尺手(枡形)の突き当たりに「平太郎」という鯛とタコの看板が掛かっている店に行列が・・・。タイ焼きとタコ焼き? この店の前に「棒鼻跡」の碑がある(左・左写真=15:37)。駕籠の棒先の意味で、宿場入り前に大名行列が隊列を整えたらしい。
  直ぐ先の角を左に曲がった50mほど先に「新居の一里塚跡」がある(左・右写真=15:39)。

  途中、街道左側に「寄馬跡」の碑があり、さらに2分ほど行った左側に「疋田八郎兵衛本陣跡」。 続いて[泉町]信号丁字路の頂点に「飯田本陣跡」と続く(右写真2枚=15:52/33601歩)。 右折した左側に「疋田弥五助本陣跡」が有るはずだが、車が多く気を取られている間に行き過ぎてしまった。 地図では角地が「疋田医院」になっている。たぶんここがそうなのであろう。

  数分歩くと、左側に「新居関所跡」の大きな敷地が見えてくる(左・左写真=15:56)。中には史料館などもあるようだ。
  [栄町]信号で国道1号線と合流する(左・右写真=16:03)。

  信号の横からスロープを上がると国道とは一段高くなった歩道がJR新居町駅へ続いている(右写真=16:05/35606歩)。 昔は、たぶんもうこの辺は海(湖)、船の上であったのではと思った。
  豊橋(吉田宿)からこちらはJR沿いで乗り換えも少なくてすみ、とても気分が楽である。

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