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藤川宿〜赤坂宿〜御油宿〜吉田宿

2012年8月13日(42224歩/7時間20分)


  この前、ここから帰路についたのは冬だった。長い間サボってしまったが、まっ人生いろいろ・・。 今日は、処により雷雨の予想・・天気もいろいろ・・。
  早速、すぐの処にある旧東海道へ復帰。なにやら調べ物をしている旅人は相棒の喜多さんである。(左・右写真=9:29)
  さて、歩き始めて5分もすると街道右手に「東海道 藤川宿」の石碑と、その筋向かいに古い門構えの「藤川宿資料館」がある。(右・左写真=9:36)
  この資料館は脇本陣で、その裏へ回るとまるで城郭のような「藤川宿本陣跡」の石垣が残っている。(右・右写真=9:38/780歩)
  国道1号線が目の前に迫った辺りに通り過ぎてしまいそうな枡形がある。地元では「曲手かねんて」と呼ばれている。(左・左写真=9:56)
  集落の途切れるところに、「市場政耕」と書かれた石碑があり、ここを左折する。この辺りは加宿市場村として整備されたとき(1648年)枡形とされたとある。
  枡形の出口、元の県道に合流する(右・左写真=9:58)。
  [市場町]信号手前で国道1号線に合流。このまま右側歩道を進む(右・右写真=9:59)。
  緩やかに右へカーブしながら進むと、国道が左へうねる辺りに信号と大きな木が見えてくる。 [舞木町西]信号を渡り、木を挟むように左へ旧街道に入る(左・左写真=10:09)。
  旧街道は国道と名鉄に挟まれて無くなってしまうのかと思うほどに狭くなって、国道の歩道へ上がる(左・右写真=10:26)。
  しばらく名鉄沿いに進むと国道関連の敷地らしきところにゼブラゾーンが現れる(右写真2枚=10:30)。 これが旧東海道を表しているらしい。
  側道に出るとすぐに信号[東海中学校入口]があるので(右・右写真=10:31)、次の分岐のことも考えて国道右側へ渡る。
  目の前に、昔から残っているらしい大きな松がそびえている(左・左写真=10:40)。[本宿町沢渡]交差点である。 ここで国道は少し左へ逸れるが旧東海道はそのまま直進するように大松の右へ進む。
  名鉄本宿駅付近の交差点(豊川信用金庫がある)を過ぎて左側2軒目辺りに「本宿の一里塚跡」がある。
  「本宿陣屋跡と代官屋敷」が残っている。代官職は冨田家の世襲で陣屋跡には冨田病院が建っている(右・左写真=10:57)。 現存の居宅は1827年のけんちくとある。
  徳川家康が幼少期ここに学び、自ら植えたという「御草紙掛松」を過ぎるとすぐに国道と合流する(右・右写真=11:04)。
  途中、国道一号線の側道に常夜灯と鳥居がたっており旧街道跡の目印となっている(左・左写真=11:09)。次の目印まではかなりの距離を歩く。
  東名高速と名鉄、そして国道が間近に並んで進んでいくのだが、その間隔が拡がり出す辺りにガソリンスタンド(エネオス)がある。 これを過ぎると吉川塗装前を側道下の細道に入る(左・右写真=11:29)。
  川沿いに出てすぐ国道[関屋]信号横の小橋に出る(右・左写真=11:33)。これを渡り長沢の集落に入る。 この辺りは長沢城下で「長沢小学校」擁壁下に「長沢城跡」の碑がある。
  そこからすぐ目の前、街道右側に「長沢の一里塚跡」の碑が建っている(右・右写真=11:54)。
  まもなく東名高速「音羽蒲郡」のランプウェイに続く県道をくぐる(左・左写真=11:57)。
  赤坂宿の入口。「よらまい館」というバス停がある。休憩所の名前で「よらまいか=寄っていきませんか」という木曽の方言から来ているそうだ。 そういえば、昔浜松でも良く聞いたような気がする。滋賀県でも私の地元では、子供の頃「よろまいか=寄って行こうよ」と友達を誘うときに使っていた。  
  1716年の建築と言われる「大橋屋」を過ぎるとすぐ、「赤坂紅里」交差点左側の旧街道モニュメントが目に入る。 その筋向かい、街道右側に「赤坂宿本陣跡」がある(右・左写真=12:26/18979歩)。
  街並みの外れに来ると、こんもり盛り上がった小橋を渡る。ここからがすばらしい「御油の松並木」の始まりである。 街道左右400mに渡って約340本。現役の車道なので管理が大変だと感じた。
  松並木を過ぎ続く街並みを5、600mも来ると、町中にしては大きな「イチビキ」と言う工場がある。 その街道右側に「御油(五井)宿本陣跡」の案内板がある(左・左写真=12:59/21864歩)。
  何度渡ったことか「音羽川」。かなり大きな川になってきた。
  まもなく、変形の十字路「行力」に差し掛かる(右・左写真=13:14)。 旧東海道は直進であるが、この交差点を左折すると「姫街道」と呼ばれる脇街道で、浜名湖の北側を通り静岡県見附宿へ続く。 また別の機会に歩いてみたいものだ。
  すぐ斜め丁字路に当たるので左へ(右・右写真=13:15)。
  ちょっと遅めの昼食。天丼900円。(左・左写真=13:30-14:00/25147歩)
  お店を出るとすぐに国道1号線と「国府町薮下」信号で合流する。
  名鉄名古屋本線を跨いで国道脇を進むと「白鳥5丁目西」という信号がある(右・左写真=14:19)。 ここから、右に逸れて旧街道を進む。
  まもなく広い車道で遮られ迂回を余儀なくされる。旧街道はあくまで直線であるのだが・・・。
  ちょっと詳しすぎる迂回路の説明ではあるが、名鉄線に突き当たったら左折。
  次の工場敷地の手前を左折。
  突き当たり丁字路が旧東海道である。

  途中、名鉄「小田渕駅」最寄りの案内板。街道はここからず〜っと直線である。
  比較的広い道路を横切ってすぐ、右側に二つの句碑と案内板がある(左・左写真=15:16)。 「伊奈村立場茶屋」茶屋本陣と呼ばれる加藤家跡である。また句碑は芭蕉のものと、 芭蕉と親交のあった当家出身の医者、俳人烏巣(うそう)のものとある。
  やっとまっすぐだった道が右に折れすぐにJR飯田線の踏切を渡る。
  ガードレールの車道側という危険な坂を上っていくと大きな川を渡る(右・左写真=15:44)。 これは豊川ではなく、豊川放水路という豊川のバイパスである。

  またまた真っ直ぐな街道であるが、名残の残り松だろうか(右・右写真=16:00)。
  ここはもう豊川沿いの緑化歩道である。実は川沿いに出る2、300m手前に「下地」という信号があるのだが、 そこで車道左側の歩道に移るべきだったようだ。「下地の一里塚跡」の石碑はそちらにあるようだ。
  豊川をまたぐ「とよばし」。豊橋(とよはし)の地名はここから来たのかと今更に思った。

  「船町交差点」。とよばしを渡りきって次の信号を左折する(右・左写真=16:28)。

  次の大き目の十字路を右折、角に「入河屋」というオレンジ色の小粋な店がある(右・右写真=16:33)。
  二つ目の国道23号線との交差点、左・手前の角に「西惣門」がある(左・左写真=16:37)。 惣門とは城下などの出入り口のうち重要な街道に置かれ、番所として往来を観察したとあります。
  さらに二つ目の交差点(右向こうの角は公園)を右折すると吉田宿である(左・右写真=16:39/42224歩)。
  本日は、この角を終着として公園でしばし一服(お陰で連絡のよい快速に間に合わず)。 久しぶりにしては快適に歩けた一日であった。(水&ポカリ2.5リットル、帰りの電車お茶500ミリ)

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