3月 23 2017

東蒲田二丁目~品川宿~日本橋

(21328歩/5時間45分)


 ちょっと肌寒いがまずまずの天気。昨晩ほろ酔いで到着した[東蒲田二丁目]の交差点から出発(左・左写真=7:45)。
 朝食無しのホテルだったので、すぐ見つけた「すき家で朝ごはん」のポップに惹かれて朝食(左・右写真=7:55-8:15/950歩)。

 [大森警察署前]で15号線と合流する国道131号線を渡り、斜め右へ幹線道路から外れる(右・左写真=8:38)。
 往時の幅員を残す「美原みはら通り」の入口(右・右写真=8:39)。車は一方通行なので比較的歩き易い。かつては「三原通り」言われ、昔の字名「南原、中原、北原」を総称した名前に由来する。後に「美原」の字を充てたとある。

 小さな橋に差し掛かる。かつて「するがや橋」と呼ばれていた「内川橋」である(左・左写真=8:42)。「旅籠 駿河屋」が有り、ここから分かれる「羽田道」も「するがや通り」と言われていた。
 しばらくすると、[環七美原通り]交差点を直進する(左・右写真=8:47)。

 15号線に合流。[平和島口]交差点を渡る(右・左写真=8:56)。旧街道を歩いている雰囲気ではないが、右側歩道を進む。
 前方に15号線から首都高速へ入るランプウェイが見えて来る。その下で右手から15号線に合流する一方通行の車道が旧東海道である(右・右写真=9:12)。

 分岐点の三角州には「鈴ヶ森刑場遺跡」がある。1651年大井村に開設され、処刑者の供養の為に隣接地に「大経寺」が建てられた(左・左写真=9:14)。
 さらに7,800m先に進むと小さな川がある。ここに架かる橋を「浜川橋」、別名「涙橋」と言い、刑場へ送られる者との別れの橋であった。関ヶ原の戦いの頃にはすでに掛けられていたとある。

 旧東海道(右・左写真=9:51)は左から右へ歩いている。正面は西向きで、京急本線をくぐってJR大井町駅方面に向かう420号線。つまり大井町駅真東を北上している。
 ファミリーマートの有る十字路(421号線と交叉)を過ぎると、松の木が有る小さな庭のような一角が有る(右・右写真=10:07)。旧東海道の縁で三島市から品川区に送られた松であると案内が有った。

 この辺りは一般の商店街でトイレをお借りできるコンビニのような所ではない。やっと一箇所旧街道公園のような所にトイレが有ってほっとした。建物が途切れ「品川橋」を渡る(左・左写真=10:13)。
 山手通りとの交差点[東海道北品川]信号を渡って少しで、「品川宿 本陣跡」が有る(左・右写真=10:18/8724歩)。

 電線・電柱の全くない品川宿を道なりに進んで行くと、左から京急本線が平面交差してくる(右・左写真=10:32)。
 踏切を渡るとちょっと複雑になっているが、取り敢えず横断歩道を渡って、植木の有る歩道を右手へ進む(右・右写真=10:34)。

 歩道に沿ってJR線を跨ぐ「八ッ山(屋つやま)陸橋」を渡る(左・左写真=10:36)。
 陸橋に続く15号線の交差点[八ッ山橋]も歩道を渡り、15号線左側歩道を歩く(左・右写真=10:38)。当初は右歩道を行く予定で有った。史跡(高輪大木戸跡)が一箇所右に有るからだが、信号が青で渡ってしまってから気が付いた。

 [品川駅前]交差点の歩道橋を渡る。何度か乗り降りしたが高輪口側の駅舎は初めて見た気がする(右・左写真=10:47)。
 [高輪二丁目]の歩道を渡ると角に石垣が有る(右・右写真=10:57)。一つ先の[泉岳寺]右手辺り(高輪二丁目20番)で1995年の発掘調査で見つかった高輪海岸の石垣である。3段目から下はそのまま現地で保存されている。

 [札の辻]交差点(左・左写真=11:19)。この辺りで緩やかに右カーブし東向きになる。宿場や街道の人通りの多い場所に建てられた「高札こうさつ」。高札場と言うが、それが有った交差点を意味する。
 [芝四丁目]交差点(左・右写真=11:34)。 左斜めに進む(北へ折れる)

 2ブロックほど行ったところに中華料理屋(萬州香)が有った(右・左写真=11:40~12:10/15752歩)。12時前に入れてラッキーだった。
 [浜松町一丁目]で少し右斜めへ折れ、しばらくすると緑色の高架が見えて来る(右・右写真=12:34)。東海道新幹線・山手線である。

 山手線のガード下は歩道が無く、20mほど左へ行くとトンネル歩道が有る(左・左写真=12:35)。
 新橋駅前を通り、東京高速の高架をくぐると[銀座八丁目]から[七][六]と進み、[銀座通り口]に至る。ここには日本橋を京に向け出発して初めての京側の橋と言う事で名付けられた「きょうはし(京橋)」の親柱が残っている(左・右写真=13:08)。(親柱のような交番も)

 さあいよいよ、今回は10年も掛かってしまった東海道つぎはぎウォークも、終点へ近付いてきた。目の前には首都高の橋梁に「日本橋」の文字が・・(右・左写真+13:31)。ほっとした達成感と言うのが一番気持ちを表しているように思う。
 前回中山道の時は、終点で解放された気分の後、見送ってくれた麒麟が今度は迎えてくれた。

 [日本橋北詰]交差点の角に有る「日本国道路元標」(左・左写真=13:30/21328歩)。ここが五街道の起点で有る。ここには「京都市 503キロ」の里程標が有るが、東海道・中山道の区別は無く、別途資料より495Kmを踏破距離とする。
 通りすがりの女性二人に写真をお願いしたところ、快くアングルを変えて何枚か撮って戴いた。
 「金鍔」をリュックに帰路に着く。

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