東海道中(2日目)草津宿~水口宿
前回の事始めに書いたように昔は東海道も中山道も堤防に上がり水のない砂川を歩いて渡っていた。
この追分にはちゃんと「右 東海道伊勢道」と書かれていて右へ行く道路も存在するのだが、道標の所にはこの追分近くをどんどん渡って行く絵や、左手に堤防へ上がると記述された説明書きなどが存在する。実際に向こう岸堤防を東海道とする文献も見た覚えがある。
今回は敢えて昔々に思いをはせて、私自身がいつも車でとおり東海道と思っている道路には入らず、トンネル手前の階段を左へ上がった。右は現在の草津川、新草津川が出来て水は全部そちらへ流れているが、実際大雨でも降らない限り、こんな感じであったようだ。ちょっと、本当に河川敷を渡るのははばかられるので、一番近い橋を向こう岸へ渡る。
旧和中散本舗「ぜさい屋」大角弥右衛門の店舗住宅。建立は寛永年間(1624~44)。近くで出会った関係者とおぼしきご老人から、「間もなくこのぜさい屋のレプリカが出来る」と聞かされた。調べてみると、どうも大きな木彫りの看板を作っているらしい。参照 (ぜさい=薬)
和中散は徳川家康が腹痛を起こした際にこの薬を服用してたちまち直ったことから有名になったそうである。
野洲川を渡る橋が、三雲にある。国道一号線「横田橋」である。現在は、国道渋滞緩和のため一号線が野洲川の両岸にある(一部栗東・石部境は工事中)が、その分岐となる立体交差が片田舎に出現する。
しかし、旧東海道はさらに500mほど上流(水口寄り)の「横田の渡し」で野洲川を越えていた。その場所を知らせるまるで灯台のような常夜灯である。水口宿へは左側のゲートをくぐり、向こうの森の方へ進む。
23Km 43272歩(8時10分→15時30分)